覚え書:「危機の20年 北田暁大が聞く 第8回 ゲスト・小森陽一さん 文壇、論壇と言説(その2止)」、『毎日新聞』2016年11月26日(土)付。

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危機の20年

北田暁大が聞く 第8回 ゲスト・小森陽一さん 文壇、論壇と言説(その2止)

毎日新聞2016年11月26日 東京朝刊

剥奪感が生む被害意識 補強する論調恐ろしい
 北田 幻想の何かから剥奪された、疎外されたという感覚を持つ中産階級予備軍の葛藤を書いてみせたのですね。今も30代後半から40代の団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニア世代は、「父母より裕福になれない」というだけの話を、自分たちは被害者であるかのように捉えています。剥奪感はあくまで相対的なもので、貧困層の苦しみや非正規雇用のシングルマザーの苦しみとは水準の違う話ですが、逆に発想する人たちがいる。原因は他にあるのに、生活保護を受けている人などが自分たちのパイを奪っているという発想になってしまっています。これを一部の論壇の論調が補強しているのは恐ろしいことです。

 小森 150年間の日本の近代も、半分の70年は戦後、今の憲法体制の中でやってきました。その過程をきちんと考え直さないとまずい。今復元すべき、公共空間に通用する言説をどう作っていくのか。ネット時代の今、身体的存在としての人間と、生身の身体から発話される言葉によるコミュニケーションが重要です。実際、そこから改めて自分にとって必要な文学を議論する動きも出ています。

 北田 対面し信頼を前提とした人間関係と、電子空間とのバランスをどう取るのかが、個々人の幸福と公正性の実現のために、本格的に考えられないといけません。その均衡点を見つけていく仕掛けが必要です。そのためには論壇、文壇といった「壇」の外に出る、あるいは壇を元に戻す。論壇と文壇と講壇などが一緒だった、つまり一つの「壇」だったところまで戻っていく仕掛けを作り出すことが課題かもしれません。

 小森 日本近代文学は、ロシア文学をやっていた二葉亭四迷三遊亭円朝の落語の筆記録をベースにしながら言文一致体を作ったところから始まりました。明治の日本が思いついた英知を、今の閉塞(へいそく)を突破するツールとして使いこなすことが大事だと思います。

 注<1>=15世紀ドイツの人で、活版印刷術を実用化した。42行聖書で知られる。

 注<2>=キリスト教徒がイベリア半島で、イスラム勢力に行った国土回復運動。8世紀初めに始まり、1492年に終わった。

 注<3>=1942年の評論家らによる座談会。明治以降の西洋文化の影響と超克を論じ、全体主義を擁護したと見られた。

 ■対談の背景

 北田さんが冒頭で指摘したように、日本の論壇では広い意味での文学者が重要な一角を占める時代が長く続いた。名前の挙がった文芸評論家以外に、小説家や劇作家らも社会や政治のテーマに関し積極的に発言してきた。小森さんが論じた漱石は代表的な例だが、確かに文学的な想像力は論壇に対し、創作と、評論やエッセーの両方で多大な滋養をもたらしてきたといえる。すると、文壇と論壇の盛衰は常にセットで起こるとも考えられそうだ。【大井浩一】=次回は12月24日掲載

 ■人物略歴

きただ・あきひろ
 1971年神奈川県生まれ。東京大大学院博士課程退学。博士(社会情報学)。筑波大講師などを経て現職。著書に『嗤(わら)う日本の「ナショナリズム」』『広告の誕生』など。
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