覚え書:「記者の目 宣教師シドッチ「復顔」成功=最上聡(東京学芸部)」、『毎日新聞』2016年12月13日(火)付。

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記者の目

宣教師シドッチ「復顔」成功=最上聡(東京学芸部)

毎日新聞2016年12月13日 東京朝刊
 
シドッチの復顔像を手にする国立科学博物館の篠田謙一・人類研究部長(左)と坂上和弘・同研究主幹=同博物館で11月、森田剛史撮影
 
「異なる目」で真実迫る
 シドッチの骨が出た−−。今年4月、東京都文京区の記者会見でのその知らせは、不思議な響きがした。骨で個人や集団を特定するのは易しくない。なぜ、確証を持って言えるのか、疑問だった。それを氷解させたのは、学際的な研究の成果だった。

 江戸時代中期、キリスト教を禁じ、海外交流を制限していた日本に潜入したイタリア人宣教師、ジョバンニ・バチスタ・シドッチ(1668〜1714年)は、当時幕府で重きをなした儒学者新井白石(1657〜1725年)から尋問を受けた後、同区内にあった収容施設・切支丹(きりしたん)屋敷で獄死した。死後300年たった2014年、屋敷跡の発掘調査で3体の人骨が見つかった。うち2体に、DNAが残っていた。

 DNA分析というと魔法のように出自や個人が特定できるように聞こえるが、制約、限界がある。経年劣化でDNAが壊れてしまえば分析のしようもないし、データを比べる対象も必要だ。例えば、子孫のDNAと比べられたら、どうか。G・B・シドチ日伊歴史資料館(ローマ)館長のピノ・マラスさんによると、シチリア島パレルモの貴族の家に生まれたシドッチには、肖像画も残る司祭だった兄がいたというが、どちらにせよ妻帯しない聖職者であり、300年も過去のこと。これと確実な関係者を見つけ出す困難は想像できる。

 国立科学博物館の調査で1体が「イタリア人の遺伝的特徴を持つ」とまで分かったのは、近年開発された「次世代シークエンサー」と呼ばれる最新機器を使ったからだ。篠田謙一副館長は言う。「発見が遅れていればDNAが壊れてしまったかもしれないし、発見が早ければ分析が不可能だった。『奇跡』という言葉は、安易に使いたくないが」

諸学問積み重ね遺骨の身元断定
 身元判明は奇跡ではない。DNAの分析に加え、(1)文献では、屋敷跡に埋葬されたイタリア人はシドッチだけ。見つかった墓の位置も文献とほぼ一致(2)同時に出土した遺物などから埋葬された時期は18世紀初頭で、シドッチの収容時期と一致。長持ちを転用したひつぎに、半ば体を伸ばして葬られていて、キリスト教の葬法に近い(3)同時代の日本人のものと比べ、人骨は頭や歯の形が独特で大柄−−と、医学・生理学、歴史学、考古学、人類学といった諸学が状況証拠を積み重ね、クロスチェックしたから、「科学的に断定」できた。

 徳川林政史研究所の渋谷葉子非常勤研究員によると、シドッチが埋葬された屋敷跡は、その後武家屋敷として推移し、墓標として植えられたというエノキも伐採されたが、シドッチのことは伝承として人々に語り継がれた。江戸時代後期の歴史地理学者、間宮士信の地誌「小日向志」にも、墓の位置などについて詳細が記された。地域に残された記憶が果たした役割は、中でも特記すべきだろう。こうして11月の発表の通り、遺骨からシドッチの顔を復元するところまでたどり着いた。

社会と文化発展、基礎科学が貢献
 私は10年ほど前、奈良支局に在籍していた時、取材を通じて文化財と生物学などの基礎科学的な学問、さらに身近な生活とのつながりを感じることが多かった。今回の復元に際し、「基礎科学が社会・文化に貢献する役割を知ってもらえたら」と篠田副館長は語った。同感する。「関係ない」で切り捨てたら、社会は豊かになりようもない。

 白石はシドッチへの尋問を基に、世界地理やキリスト教について記した「西洋紀聞」を著した。白石のキリスト教評は「まったく道理に合わない」と辛辣(しんらつ)だ。しかし白石はシドッチの死刑を「下策」とした。今回、シドッチが「キリスト教の様式にほぼのっとって」葬られていた事実に鑑みても、白石、及びその意向を受けた幕府が、重罪人であってもシドッチの使命感や知性を尊重していたのは事実とみて良いのではないか。シドッチの郷土の「先輩」で、遠藤周作の「沈黙」のモデルになった宣教師ジュゼッペ・キアラは棄教し、火葬されているのだ。

 先学は後に幕府の禁書令の緩和、蘭学の振興につながったと、白石とシドッチの出会いを評価する。「西洋紀聞」はキリスト教に触れた内容から、近代に至るまで公開されることはなかったが、それでも一定の影響はあったのだ。

 対話がなければ、「道理に合わない」と否定もできないし、白石ほどの学者でも「他者の目」があって、初めて自身の世界の理解が正しいか、確認できたのだ。復元されたシドッチの思いのほか優しげな顔を見ると、「異なる目でのクロスチェック」は神の奇跡を持たない私たちが、真実に迫る少ない手段であることを、改めて実感させられた。
    −−「記者の目 宣教師シドッチ「復顔」成功=最上聡(東京学芸部)」、『毎日新聞』2016年12月13日(火)付。

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