覚え書:「日曜に想う 武器という魔性への一閃 編集委員・福島申二」、『朝日新聞』2017年02月12日(日)付。

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日曜に想う 武器という魔性への一閃 編集委員・福島申二
2017年2月12日


「手づくり玩具」 絵・皆川明
 人を殺(あや)める兵器や武器はおよそ俳句の趣向に合いそうもない。しかしそれらを詠んだ名句もあって、金子兜太(とうた)さんの破調の一句はよく知られている。

 〈魚雷の丸胴蜥蜴(とかげ)這(は)い廻(まわ)りて去りぬ〉

 金子さんは先の戦争中、海軍主計中尉として南太平洋のトラック諸島に派遣された。米軍の執拗(しつよう)な爆撃に叩(たた)かれ、修羅場となった島のヤシ林の奥に、攻撃機に抱かせる魚雷が隠して積んであった。

 あるとき、その丸みのある鉄の肌の上を、トカゲがちょろちょろ走って消えるのを見た。戦場でありながら冷たいものが背筋を上ってきたそうだ。

 「小さな爬虫類(はちゅうるい)の這う姿に、むき出しの命と鉄が触れ合う生々しさを感じたのです。この魚雷で人間が死ぬのだと実感した。そのときにできた句です」。穏やかな冬日の差す居間で97歳は回想する。

 あれから時は流れたが、世界には戦火も、武器をもてあそぶ者も絶えない。金子さんは最新の句集で、愚行への憤りと命への畏敬(いけい)を込めてこう詠んでいる。

 〈左義長や武器という武器焼いてしまえ〉。左義長とは小正月どんど焼きのこと。その火の勢いの中へ武器などみな放り込んでしまえと。夢想ではない、辛酸をなめて生き延びた戦中派のまっすぐな意思であると、俳句界の長老は言う。

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 書物をひもとき武器の人類史を顧みると、よくもこれほどの情熱を殺戮(さつりく)と破壊に捧げてきたものだと驚かされる。しかし携わった科学者らの中には倫理のはざまで心を揺らす人もいた。

 たとえば16世紀イタリアの数学者タルタリアは、大砲の命中精度を上げるために放物体の軌道研究に取り組んだ。砲手が照準を定める補助器具を開発するなどしたが、後年、人類の仲間を殺す手助けをしたことに苦悩し、論文などをすべて処分しようとしたという。

 しかしながら、そののち再び祖国に戦火が及びかけると、彼は気を取り直してそれまでの研究成果を軍に提供したそうだ(白揚社「戦争の物理学」から)。古い逸話は、科学者の複雑な胸中と、「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」というフランスの細菌学者パスツールの言葉を結びつけ、戦争と科学の宿命的な近親性に思いを至らせる。

 日本の科学も戦前は軍事と手をつなぎ合っていた。敗戦から5年後、日本学術会議は「科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には今後絶対に従わない」と表明する。根っこには、研究資金などのために戦争に協力した過去への痛切な反省があった。

 その、先人たちの悔恨を土台にした軍と学の垣根が、ここにきて低くなりつつある。兵器など装備品に応用できそうな基礎研究を防衛省が公募して資金提供する制度ができた。潤沢な資金をちらつかせての手招きに、慢性的な研究費不足にあえぐ大学が揺れていると聞けば、軍学再接近への懸念が胸をよぎる。

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 「平和を望むなら戦争を準備せよ」とラテン語のことわざに言う。そうした意味合いのもとに、古来、平時であっても武器や装備品の開発や製造は絶えることなく競われてきた。

 いまの日本で「戦争を準備せよ」とは言えない。そのかわりに呪文のように聞こえてくるのが、政治が語る「安全保障環境の変化への対応」である。防衛省による資金提供は、「積極的平和主義」をうたう一連の流れの中にある。

 日本学術会議でいま、軍事研究との向き合い方をめぐる議論が続く。自衛的な装備品ならいいのか、民生技術と軍事技術の線引きは可能なのか――。きわどい議論を専門家だけのものとせず、私たちも関心を寄せる必要を痛感する。先日も米軍から日本の大学などに、多額の助成金が提供されていることがわかった。

 ミサイルから機関銃まで、世界には凶器があふれ、国家や組織の正義や大義のもとに地上を血で染めぬ日はない。

 金子兜太さんに話を戻せば、その句は武器という魔性を帯びたものへの言葉の一閃(いっせん)である。武器なぞに人間を跪(ひざまず)かせてはならないとの思いに共鳴する人は多かろう。科学者の責任が軽いはずはない。
    −−「日曜に想う 武器という魔性への一閃 編集委員・福島申二」、『朝日新聞』2017年02月12日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12793419.html


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