覚え書:「悩んで読むか、読んで悩むか 距離置くと違う風景見えるのでは 斎藤環さん」、『朝日新聞』2017年04月23日(日)付。

Resize6196


        • -

悩んで読むか、読んで悩むか> 距離置くと違う風景見えるのでは 斎藤環さん

距離置くと違う風景見えるのでは 斎藤環さん
2017年04月23日

61年生まれ。精神科医で批評家。筑波大学教授。『オープンダイアローグとは何か』(著・訳)など。

■相談 無愛想な向かいの夫婦、心軽くしたい

 向かいの家に住む30代のご夫婦の件で相談です。ご夫婦は近所中の人を避けている感じがします。理由は分かりません。私があいさつをしても、無視されるか、嫌な顔をされます。ご夫婦に会うかもと思うと、外に出るのも緊張します。リラックスしたい自宅で、こんな感じでは息が詰まります。心が軽くなるような、発想の転換ができるような本を教えてください。
 (女性会社員・40歳)

■今週は斎藤環さんが回答します
 ご近所なのにあいさつしても無視されるのは、結構なストレスですよね。しかし、近所中の人を避ける30代夫婦というのも謎の存在です。こういう「奇妙な隣人」の話を聞くと、私はきまってつげ義春の短編漫画「李さん一家」を思い出します。
 郊外のボロ家を格安で借りて長閑(のどか)な暮らしを楽しんでいた主人公の家の二階に、ひょんなことから奇妙な一家が住み着きます。主の李さんは朝鮮人で鳥と会話する特技を持っています。奥さんはもともと千葉の海女さんで、無口で家事はあまりしません。李さんは定職がなく貧乏で、もちろん家賃も払いません。奥さんは時々主人公の畑からキュウリを失敬したりします。
 その衝撃的なラストシーンとともに知られる名作ですが、ふつうに考えたら李さん一家は、単に迷惑な隣人でしかありません。本作が醸し出す独特のユーモアは、損得に無頓着な主人公の飄々(ひょうひょう)とした描写によるところが大きいでしょう。
 つげ義春は、作家の井伏鱒二から強い影響を受けています。困った隣人に迷惑をかけられて狼狽(ろうばい)する主人公は、井伏作品にもしばしば登場します。短編「夜ふけと梅の花」もその一つです。
 ある冬の夜ふけ、屈託しつつ通りを歩く主人公の前に、血まみれの酔漢が立ちふさがります。喧嘩(けんか)で負傷したことを勤め先には知られたくないというその男につきあって、主人公は怪我(けが)の言い訳を考えてやります。男は御礼にと大金の5円札を力尽(ず)くで押しつけて去って行きます。いずれ返しに行こうと思いながらその金を生活費に使い込んだ主人公は、いつまたその男が自分の前に現れるかと怯(おび)える日々を過ごします。
 つげと井伏に共通するのは、主人公が置かれた悲劇的状況を、一歩引いたところから俯瞰(ふかん)する視線です。生活上の多くの悲劇は、距離を置いて見るとしばしば喜劇となります。「謎の30代夫婦」とあなたとの関係も、そんな視点から眺めてみると、少しは違った風景が見えるのではないでしょうか。
    ◇
 次回は書評家の吉田伸子さんが答えます。
    ◇
 ■悩み募集
住所、氏名、年齢、職業、電話番号、希望の回答者を明記し、郵送は〒104・8011 朝日新聞読書面「悩んで読むか、読んで悩むか」係、Eメールはdokusho−soudan@asahi.comへ。採用者には図書カード2000円分を進呈します。
    −−「悩んで読むか、読んで悩むか 距離置くと違う風景見えるのでは 斎藤環さん」、『朝日新聞』2017年04月23日(日)付。

        • -




http://book.asahi.com/reviews/column/2017042300013.html



Resize5627