覚え書:「書評:百年の散歩 多和田葉子 著」、『東京新聞』2017年06月18日(日)付。

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百年の散歩 多和田葉子 著

2017年6月18日


◆世界的物思い、ベルリンで
[評者]瀬尾育生=詩人
 ベルリンという都市は、ニューヨークがアメリカに属するように、パリがフランスに属するように、トウキョウが日本に属するように、ドイツに属しているわけではない。それは「世界都市」であって、壁で隔てられていたときも、壁が崩壊したときも、壁が取り払われて一つの空間に溶けあっている現在でも、行きかう人々、店々に並ぶモノたち、飛び交う言葉たちに触れることが、じかに「世界」に触れることになるような、特別な空間なのだ。
 森の中で迷った人に木の枝のポキンと折れる音が語りかけるように、ここでは街路の名前が散歩者に語りかける−とかつてベンヤミンは語ったものだった。レネー・シンテニス広場、ローザ・ルクセンブルク通り、コルヴィッツ通り、トゥホルスキー通り…、街路はその名前によって歴史と交差している。目的のない散歩者に、これほどふさわしい街はないにちがいない。
 語り手の女性は、<あの人>に会おうとしている。だが<あの人>は、あたかも空白の時間を語り手に恵んでやろう、とでもいうかのように、最後まで姿をあらわさない。語り手はたぶんメモ帖(ちょう)などを片手に、ひたすら歩行し、出会う人々、モノたち、言葉たち−そしてそれらに呼び起こされる自らの物思いを記述し続ける。世界的な散歩、世界的な物思いだ。
 歩行はしばしば夢の路地裏に迷い込んで、妖精のようなもの、魔物のようなものが行き来したりもする。かつて秘密警察に支配されていた空間が、いまでは移民たち路上生活者たち、さまざまなセクシュアリティや政治党派たちからなるカオスである。
 語り手が日本語とドイツ語を話す日本人であることもまた、一点景となってこの都市の世界性のなかに溶け込んでいる。語り手とともに読者もまた、一つの思考や物語の中にながくとどまることを許されない。気づくと、この物語の記述のなかで、いつのまにかベルリン自身が語りだしているのだ。
(新潮社・1836円)
<たわだ・ようこ> 1960年生まれ。作家。著書『雪の練習生』『雲をつかむ話』。
◆もう1冊
 キアラン・ファーヘイ著『ベルリン廃墟(はいきょ)大全』(梅原進吾訳・青土社)。ベルリンのさまざまな廃墟を歩きながら、歴史をひもとく。
    −−「書評:百年の散歩 多和田葉子 著」、『東京新聞』2017年06月18日(日)付。

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