覚え書:「みちのものがたり 花森安治の「雑誌道」 東京都 マルチ・おしゃれ、希代の人物」、『朝日新聞』2017年05月20日(土)付土曜版Be。

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みちのものがたり 花森安治の「雑誌道」 東京都 マルチ・おしゃれ、希代の人物
2017年5月20日 

花森安治(右下)が編集した初号から第2世紀53号まで153冊の「暮しの手帖」。花森は表紙のデザインも手がけた
 
 靴下や毛布、ストーブなど所帯じみた品々が並び、男の人の怒鳴り声が絶えず流れている。美しい手描きの絵や、変わった字体のスローガンもたくさんの、少し不思議な美術展。イラストや写真は、今見てもおしゃれなものばかり。会場にあふれる老若男女が、展示物に見入っている。

 東京・世田谷の砧(きぬた)公園内にある世田谷美術館で「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」展が開かれたのはこの春のこと。2カ月間の会期中、当初見込みの倍にあたる約4万人が訪れた。

 日本を代表する希代の編集者として、雑誌「暮しの手帖」を100万部の「国民雑誌」に育て上げた花森安治(1911〜78)。創刊号から表紙画を描き、原稿を執筆し、中づりポスターのコピーやデザインも手がけた。

 美術展だけではない。ここ数年、関連する書籍の出版が相次いでいる。昨年は、花森がモデルの人物が登場するNHKの連続テレビ小説とと姉ちゃん」も放映された。

 亡くなってすでに39年。なぜいま、花森安治なのか。

 「花森」展を企画した世田谷美術館学芸員矢野進さん(53)は、「花森ブーム」を作り出したキーパーソンと言えるかもしれない。矢野さんが今回の展示を企画したのはドラマ化より前。そもそも、矢野さんが花森展を開催するのは今回で3回目だ。

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 きっかけは、偶然ムック本で伝記を読んだことだった。「こんなにマルチですごい人がいるんだ」と興奮した。

 ときは2000年代前半。小泉政権のもとで新自由主義の風が吹きあれ、非正規雇用が増加、自己責任論が声高に叫ばれるなど、世の中がギスギスし始めたころ。その反動か、地に足を着けた暮らしへの志向も強まり、健康で持続可能なスタイル「ロハス」や「MOTTAINAI」、リメイクが流行、「ku:nel(クウネル)」などの生活家庭雑誌も次々創刊された。

 矢野さんは思った。

 「この人こそ、今紹介するべきなのでは」

 06年に世田谷文学館で「花森安治と『暮しの手帖』展」を開いた。約180平方メートルの、大きくはない展覧会だったが、約1万人が来場した。特に若い人がびっくりするほど多かった。「やっぱり、時代だったんでしょうね」

 それから11年。花森と、彼が精魂を込めた雑誌を追慕する風潮がやむ様子はない。

 今回の花森展で、ひときわ人だかりが目立つ一角があった。「暮しの手帖」の名物企画「商品テスト」の展示コーナーだった。

 ■「商品テスト」のみならず

 トースターの回では4万枚の食パンを焼いて積み上げ、ベビーカーなら走行距離が100キロになるまで押し、防火を考えるために家1棟を燃やしたこともあった。「暮しの手帖」の商品テストは、語り継がれる逸話の宝庫だ。

 「冷蔵庫ひとつとっても、例えばメーカーによるテストではモーターを使って開け閉めするが、うちは実際に手で何度も開け閉めした」。そうふり返るのは、元編集部員の北村正之さん(75)だ。「世の中、背の高い人も低い人もいる。開け閉めの角度も違う。一事が万事、家庭で使うのと同じようにテストした」

 北村さんの印象に一番残るのは、電子レンジの回だ。「当時、メーカーは『何でも作れる夢の調理器具』とうたって売り出していた。ならばと、我々も天ぷらやホットケーキが作れるか試した」。結論は「せいぜい、温め直すのにしか役立たない。そんな物に10万円前後を出すのは馬鹿げている」。タイトルは「電子レンジ この奇妙にして愚劣なる商品」となった。

 役所と論争になったテストもあった。1968年の「もしも石油ストーブから火が出たら」では、「石油ストーブから出た火はバケツの水で消せる」と主張する編集部が、「火にはまず毛布を」と呼びかける東京消防庁と対立した。公開実験で決着を付けることになり、他誌や新聞も「水かけ論争」「異色の公開テスト」と書き立てた。

 「ガンバレドクシヤココニアリ」「お役人はのらりくらりだから、しっかりとね」。読者からは激励の電報や手紙が届いた。実験の結果、軍配は編集部に上がった。

 一方、メーカーからのクレームは意外に少なかったと北村さんは言う。「テスト後はメーカーにデータを見せたし、何より広告を一切入れなかったことが大きかった」

 読者を一番に考え、広告は取らず、とことん事実を検証する。今回はそれを勝手に、“花森安治の「雑誌道(どう)」”と名付けた。この道を後に続こうとする者は少なからずいる。

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 「テストする女性誌」をうたう月刊「LDK」(晋遊舎)は、家電や文房具などを毎号使い比べ、結果を掲載している。テストは編集部員や読者が行い、広告や、宣伝と気づかせない「やらせ記事」がないのが売りだ。

 「10年ほど前、通販番組を見ていて腹が立ったんです。こんなにウソばかりついてモノを売っていいのかって」。テスト誌を始めた西尾崇彦社長(40)が振り返る。木村大介編集長(39)は「通常の雑誌は広告主ありきで、消費者主導ではなかった。でも、広告さえなければ消費者のために遠慮無くものを言える」と語る。この出版不況下、5月末発売の最新号の発行部数は20万部を超える見込みだ。

 木村編集長は恐縮しながら、花森の影響を受けていると明かす。「昔の『暮しの手帖』を読んで育った。(花森が)『LDK』のテストを見て、どう思うか知りたい」

 反原発を掲げ、政治的発言を続ける異色の通販雑誌「通販生活」(カタログハウス)は、第三者機関などがテストした商品を扱い、1誌あたりの商品数を約80に絞り込む。

 創業者の斎藤駿(すすむ)さんは著書『なぜ通販で買うのですか』で花森について、「書斎からではなく日常生活から思想をつくっていくタイプの知識人」とし、社として同じ道を歩みたいと書く。商品ページ責任者の矢島奈津子さん(41)が参考にしてきたというのも「ゴリゴリのテスト誌だった頃の『暮しの手帖』」。

 現在通販の会員は約120万人。矢島さんは「費用や時間はかかるが、ウソのないテストをすることで読者の共感を得てきた」と胸を張る。

 当の「暮しの手帖」は、53年間続いた商品テストを2007年にやめた。製品が頻繁にモデルチェンジし、十分なテストができないこと、そもそも現在の社屋ではテストできる設備がないことが理由だ。しかし、花森が敷いた道は、ほかにもある。

 読者からの書簡などで構成された68年夏の特集を書籍化した『戦争中の暮しの記録』。戦争を繰り返すまいと、「ペンの力で『あたりまえの暮らし』を守る」と誓った花森の神髄ともいえる一冊だ。同誌は今、「戦中・戦後の暮しの記録」の出版を企画し、再び原稿を募集している。

 創刊70周年を控え、澤田康彦編集長(59)は言う。

 「一人一人の暮らしが一番大事という思いは変わらない。きな臭いことが起きている今こそ、最後の戦争世代の言葉を伝達していきたい」

 (文・岩本美帆 写真・金川雄策)

 ■今回の道

 花森安治大橋鎮子(しずこ)(1920〜2013)と一緒に、現在の東京都中央区銀座8丁目に「衣裳(いしょう)研究所」をつくったのは1946年。2年後、「美しい暮しの手帖」を創刊した。54年に現誌名へ変更、前年には港区東麻布3丁目に「暮しの手帖研究室」を開設。「商品テスト」の多くはここで行われた。同誌は100号ごとに第1世紀、第2世紀と区分する。

 花森は「商品テスト」だけでなく、多くの名企画を残した。「ある日本人の暮し」は、懸命に生きる市井の人々の生活に迫ったルポルタージュ。65年第1世紀81号の「路地裏の保育所」では、公立保育所と非認可保育所の格差を描き、現代に続く問題を提起している。

 戦時中は大政翼賛会宣伝部で国威発揚のための宣伝に携わっていた花森。悔恨の念からか、自身について多くは語らなかったものの、70年の第2世紀8号「見よぼくら一せん五厘(いっせんごりん)の旗」にあるように、徹底して庶民の側に立ち、反戦の姿勢を貫いた(写真は、現在の暮しの手帖社顧問室に飾られた花森愛用の万年カレンダーと時計)。

 ■ぶらり

 「暮しの手帖研究室」があった麻布の街には、当時を知る店も少しだが残っている。麻布十番商店街金物屋「川口商店」は、工作好きの花森が通った店。店主の川口祝弘(ときひろ)さん(75)は研究室に呼ばれ、「十字ドライバーの選び方」などを解説したことも。編集部員が録音していたという。

 麻布から10キロ弱。台東区浅草1丁目の手打ちそば「十和田」にも、花森は顔をよく出した。お気に入りのメニューは天ざる。おかみの冨永照子さん(80)=写真=はその働き者ぶりを気に入られ、1973年の第2世紀24号「浅草のおかみさん」の特集に取り上げられた。「花森さんは本当に優しい人。いつも麻布から三輪自転車に乗ってやってきたよ」

 ■読む

 酒井寛『花森安治の仕事』(暮しの手帖社)は、1987〜88年の朝日新聞家庭面の連載に大幅加筆しまとめたもので、花森の仕事ぶりを追う。花森の生誕100年を記念し2011年に復刊した。

 津野海太郎花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(新潮文庫)は、花森の生い立ちからひもとき、人物像や思想に迫る。

 「暮しの手帖」の最新刊は第4世紀88号=写真。25日発売。

 ■見る

 「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」展は全国を巡回している。21日までは愛知県の「碧南市藤井達吉現代美術館」(電話0566・48・6602)。その後は6月16日〜7月30日、富山県の「高岡市美術館」(電話0766・20・1177)、9月2日〜10月15日、盛岡市の「岩手県立美術館」(電話019・658・1711)と続く(写真は、いずれも展示物の花森愛用の品)。

 ■読者へのおみやげ

 「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」展の図録(全332ページ)を4人に。住所・氏名・年齢・「20日」を明記し、〒119・0378 晴海郵便局留め、朝日新聞be「みち」係へ。25日の消印まで有効です。

 ◆次回の道は、仙台市の東一番丁通。東北大医学部の学生だった北杜夫が、無為な生活の中で創作に本腰を入れ始めた、青春の日々をたどります。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12943190.html



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