覚え書:「みちのものがたり 地下網 東京都 「もうひとつの東京がある」」、『朝日新聞』2017年05月13日(土)付土曜版Be。

Resize7242

        • -

みちのものがたり 地下網 東京都 「もうひとつの東京がある」
2017年5月13日 

【360度動画】渋谷川周辺の再開発 建設中の地下広場=樫山晃生撮影
写真・図版
大規模な再開発で生まれ変わる渋谷駅周辺。東口で地下広場の建設工事が進む=東京都渋谷区
 
 地下道は続くよ、どこまでも――。蛍光灯の無機質な光線にひたされた通路は、一日中歩いても、地上の目的地には到底、たどり着けそうもないように思えた。

【パノラマ写真】渋谷川周辺の再開発 建設中の地下広場=樫山晃生撮影
 探索する意欲満々だったのに、気分がめいりかける。

 東京駅から皇居へ延びる行幸通りと日比谷通りがまじわる和田倉門交差点の真下にさしかかったあたり。東銀座の歌舞伎座の前で地下道におりて西へ進み、日比谷公園の角で北へ折れ、圧迫感のある空間の中を、すでに約2キロも、ひたすら歩いていた。

 だが、これしきは、ほんの序の口。東京駅の丸の内側、北は大手町から南は有楽町まで広がる約120ヘクタールのオフィス街には、大小とりまぜ総延長約18キロにおよぶ地下道のネットワークがある。

 それは、駅の反対側にある八重洲地下街や東銀座にまでつながり、東京メトロ都営地下鉄、JRの計12本の地下を走る鉄道路線にも直結している。約100棟のビルが立ちならび、約23万人が働くビジネスの中枢に、毛細血管のように高密度の「地下網」ができあがっている。

 都心の迷宮と化した地下道めぐりに誘いこまれたのは、ある人物と出会ったからだ。

 作家の秋庭(あきば)俊さん(60)。もともとはテレビ朝日でメキシコやベトナムの支局長を歴任した記者だった。1996年に退社し、その6年後、『帝都東京・隠された地下網の秘密』と題した著書を刊行。以来、とりつかれたように、地下世界に潜む「疑惑」をあぶりだすノンフィクション作品を書き続けている。

 『帝都東京――』で唱えたのは、こんな前代未聞の仮説だった。「1945年、東京にはおそらく、いまとほぼ同じだけの地下鉄があった」

 戦前の東京の地下鉄は、いまの東京メトロの銀座線(浅草〜渋谷、14・3キロ)しかなかったはずだ。現在は都営地下鉄と合わせ13路線、営業キロは約300キロに達するが、それに匹敵する路線網が、終戦までに極秘のうちに張りめぐらされていたというのだ。

    *

 発端は地図だった。なにげなく、複数の地図で都心の同じ場所を見くらべていたら、地下鉄のルートが誤差では済まないほど食い違っていた。国土地理院の原図の改ざんを疑い、陰謀のにおいをかぎとった秋庭さんは、地下鉄の建設記録を図面まで読みこんで、矛盾を洗い出した。

 前述の結論にたどりつく最初の手がかりは、丸ノ内線(池袋〜荻窪)に隠れていたという。線路の図面で、カーブの半径をしめす数値を調べると、ある区間で、単位がメートル法ではなく、明治・大正期に用いられたヤード・ポンド法になっていたそうだ。つまり、戦前から、すでに、そこに存在していたトンネルが再利用されたのではないかと推論したのである。

 「戦前の知られざる地下鉄は、皇族や軍部が使っていたから機密事項にされたのでしょう」と秋庭さんは語る。その路線網は戦後、公然と建設された地下鉄にとりこまれ、無きものにされたと。

 後半生をすべてなげうつ覚悟で、地下網の謎を白日の下にさらそうとしている秋庭さんは、確信をもって、こう断言するのだった。

 「東京の地下には、もうひとつの東京がある」

 ■信じるか信じないか

 地下が気がかりになると、地下道を歩かずにはいられなくなった。その衝動は、初対面のときの秋庭さんが、丸の内の地下道を歩きながら真顔でうち明けた体験談で、拍車をかけられた。

 東京で、ひた隠しにされている要人専用の地下網は、いまもまだある。しかも、その一部を目撃した――。

 「なんの変哲もない片側1車線の車道でした。私たちがいま歩いている地下道と、なんら変わらない。その所在を明かすと、私を手びきした関係者が罰せられます。テロ対策の名目で秘密にされているのです。でも、入り口は偽装されていたけれど、だれでも近づける場所にありました」

 その告白の真相は見きわめられない。しかし、見なれているはずの世界が、突如、異次元のものに変わってしまったような、めまいを覚えた。

 もっとも、東京には、テロ対策のため全容が公開されない地下網は現実に存在する。そのひとつは、電気、ガス、上下水道などのライフラインを、幹線道路の真下にある1本のトンネルにまとめて格納する共同溝だ。日比谷公園沿いの国道1号にも、地表から深さ約40メートルの地下に「日比谷共同溝」が通っている。

 国土交通省東京国道事務所によると、同事務所が管理している東京23区内の主要国道10路線、164キロのうち117キロで共同溝がつくられている。だが、トンネルの内部は、「保安上の理由」で、マスコミを含めて部外者はシャットアウトされている。

 産官学の組織「都市地下空間活用研究会」の主任研究員、谷利(たにかが)信明さんは、「東京23区内では、電力の大部分が地下送電網で供給されています。マンションなどの地下に2次変電所もつくられているようです」という。送電線の位置情報は、人目にさらされている地上のものでさえ、一時期、保安上の理由で非公開だった。まして地下のそれが公表されるはずもない。

    *

 インフラの網の目が着々と築かれつつある東京の地下は、かつてコンクリート千年王国をうたう幻想をいざなったことがある。

 バブル経済の絶頂期、地上の過密と地価狂乱から逃れようと、大手ゼネコンがこぞって、破天荒な地下空間開発プロジェクト「ジオフロント構想」をぶちあげたのだ。

 「アーバンジオグリッド構想」(清水建設)、「アリスシティネットワーク構想」(大成建設)、「TUBE(チューブ)構想」(戸田建設)、「オデッセイア21構想」(熊谷組)……。

 1980年代末から90年代初頭にかけて、相次いで発表された、これらの構想はすべて、浮ついた時代のあだ花のように立ち消えになった。

 建設地を特定していた間組(現・安藤ハザマ)の「青山地区ギア構想」は、当時、同社の本社ビルがあった東京・青山で、大深度地下に球形や長円体の巨大空間を6カ所建設し、ライフラインの共同溝と交通・物流用のトンネルでつなげる計画。スキー場やコンサートホール、国際会議場などを備え、建設費は総額4500億円。2010年に実現可能と見積もられていた。

 都市環境工学が専門の尾島俊雄・早大名誉教授は、「地下は人間にとって、あくまでも非日常の世界」とジオフロント構想を批判する。「地上の社会を支えたり、生き返らせたりするために、地下はある。人間を生活させるような発想は本末転倒です」

 幸いバブルが崩壊し、人びとは、超巨大プロジェクトの正体が悪夢であることに気づいたのだった。

 秋庭さんは別れ際、こんなひとことを言い残していた。

 「地下にある、もうひとつの東京が、地上の東京を動かしています」

 信じるか信じないかは、あなた次第。異次元の東京の幻が、しばらく脳裏から消え去らなかった。

 (文・保科龍朗 写真・相場郁朗)

 ■今回の道

 東京の地下網の構築は地下鉄から始まった。その立役者は、「地下鉄の父」とたたえられる早川徳次(のりつぐ)(1881〜1942)=写真、地下鉄博物館提供=だ。

 やり手の鉄道事業家だった早川は1914年、ロンドン視察の際に地下鉄を見て度肝を抜かれ、東京での開業を決意した。運営会社の「東京地下鉄道」を設立し、27年に、いまの東京メトロ銀座線(浅草〜渋谷)の浅草〜上野間2.2キロ、34年に浅草〜新橋間8キロを開通させた。30年には副業にも乗りだし、食料品や日用雑貨などを売る「地下鉄ストア」を上野駅の構内に開店した=写真、同。これが、日本の地下街の起源とされる。

 一方、後の東急グループの総帥、五島慶太(1882〜1959)ひきいる「東京高速鉄道」が、渋谷から新橋までの地下鉄を開業。相互乗り入れで、39年に浅草〜渋谷間の直通運転が始まった。両社は結局、41年に戦時政策で帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)に統合された。

 戦後は、東京都が新たに参入し、60年に都営浅草線(押上〜西馬込)の押上〜浅草橋間3.1キロが開業した。

 ■ぶらり

 渋谷駅を中心とした一帯はいま、「100年に一度」といわれる大がかりな再開発事業が進められている。JRの線路をまたぐように、3棟からなる駅ビルが建ち、うち1棟は地上47階、高さ約230メートル。都内指折りのランドマークになる。

 再開発にともなう土地区画整理で、駅東口に新たに地下広場ができる。東急電鉄によると、地下を流れる渋谷川の暗渠(あんきょ)の川筋を変え、その下に広さ約1600平方メートルの広場を建設中だ。2020年完成予定。

 東京メトロ東西線葛西駅の高架下にある地下鉄博物館(電話03・3878・5011)は、地下鉄の歴史や最新技術が学べる。戦前の東京地下鉄道の1000形1001号車や東京高速鉄道の100形などの実物車両が保存されているほか、銀座線など4路線の運転を体験できるシミュレーターもある。午前10時〜午後5時、月曜休館。大人210円。

 首都圏外郭放水路の調圧水槽は、誰もが圧倒される地下構造物だ。大雨のとき、埼玉県東部の河川の洪水を全長約6キロの地下放水路に取りこみ、江戸川に放流している。同県春日部市にある調圧水槽は水の勢いを弱めるための施設で、長さ177メートル、幅78メートル、高さ18メートル。重さ500トンの柱59本で天井を支え、その威容は、「地下神殿」にたとえられる。調圧水槽は、火〜土曜日に見学会が催されている。無料。申し込みは、電話(048・747・0281)かインターネット(http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/gaikaku/index.html別ウインドウで開きます)で。

 ■読む

 秋庭俊さんの著作は、『大東京の地下99の謎』(二見文庫)、『新説 東京地下要塞(ようさい)〜隠された巨大地下ネットワークの真実』(講談社+α文庫、品切れ)、『森鴎外の「帝都地図」 隠された地下網の秘密』(洋泉社、同)など多数ある。

 地下の構造物を撮り続け、3年前に急逝した写真家、内山英明さんの『JAPAN UNDERGROUND』シリーズ(全4巻、アスペクト)は、マニアならずとも都市の地下空間の人工美にひきこまれる。

 ■読者へのおみやげ

 東京地下鉄道1000形と東京高速鉄道100形の模型セットを3人に。住所・氏名・年齢・「13日」を明記し、〒119・0378 晴海郵便局留め、朝日新聞be「みち」係へ。18日の消印まで有効です。

 〈+d〉デジタル版に360度パノラマ写真

 ◆次回の道は、花森安治の「雑誌道(どう)」です。彼が精魂をこめた「暮しの手帖」は、今なお雑誌作りにかかわる編集者たちの羅針盤となっています。
    −−「みちのものがたり 地下網 東京都 「もうひとつの東京がある」」、『朝日新聞』2017年05月13日(土)付土曜版Be。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S12931740.html






Resize6740