覚え書:「論壇時評 現代の保守 「大日本帝国の虚妄」でなく 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2017年05月25日(木)付。

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論壇時評 現代の保守 「大日本帝国の虚妄」でなく 歴史社会学者・小熊英二
2017年5月25日 

 「昭和四十八(一九七三)年十月、自分は何を考え生きていたのだろう。……ギターを弾くことにしか興味のなかった小僧は肩まで髪を伸ばし、流行(はや)っていたかぐや姫の《神田川》をコピーしながらも、どこかあきたりなさを感じていた」

論壇委員が選ぶ今月の3点(2017年5月・詳報)
 「自信をもって言えるのは、天皇陛下を戴(いただ)くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはないということだ」

 以上は、保守雑誌「正論」編集長の編集後記からの引用だ(〈1〉)。前半と後半のギャップに戸惑う人もいるだろう。

 しかし前半部分は、現代の50代・60代の青少年期の姿である。そして後半は、その50代・60代の現在の姿の一つだ。「国防軍」「自主憲法制定」「反日」といった言葉が誌面に並ぶ雑誌だが、それを編集しているのはこうした人なのだ。

 同誌によく寄稿する八木秀次氏は、安倍晋三首相のブレーンとして知られる。1962年生まれの八木氏にとって、保守主義は「新しいカッコいい思想」だったという(〈2〉)。「保守」という言葉の厳(いか)めしさと、「カッコいい」という形容詞は不似合いだが、この一見奇妙な組み合わせこそが現代の「保守」の実像だ。

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 彼ら自身は、こうした在りようをどう考えているのか。映画「シン・ゴジラ」にあやかった「正論」の特集「シン・保守のHOPEたち」に掲載された小川榮太郎氏の分析がそれに答える(〈3〉)。

 小川氏によると、本来の保守とは「生き方」であって「主義」ではない。保守は急進的理念を批判するが、その足場は伝統的な共同体の「生き方」であって、理念的な「主義」ではないからだ。

 だがそれが可能だったのは、伝統的な生活様式が実在していた高度成長以前の話だ。現在では「保守的な『生き方ないし考へ方の根本』そのものが、日本人から失はれてしまつた」「様々な自称・他称保守を見ても、肝心な、保守的な『生き方ないし考へ方の根本』を体現してゐる人は殆(ほとん)ど見当(みあた)らない」。

 さらに小川氏は言う。「今の『保守』は、天皇陛下万歳を唱へながら、排他主義のはけ口にしてゐるだけなのかもしれない。蓮舫氏を批判しながら職場では権利の主張に余念ないかもしれない」「要するに、近年保守的な標語が世上に乱舞してゐる状況は、ネットの断片的な情報によつて過激化したナショナリズムと評すべきであつて、保守的な人間像、保守的なエートスの蘇(よみがえ)りではない」

 近年の「保守」運動には、戦前の日本を称賛する声が多い。しかし当人たちは「現代っ子」と呼ばれた世代である。彼らが戦前の日本を語っても、それは「実在」ではありえないのだ。

 高度成長期以前は違った。岸信介鳩山一郎など自民党第1世代は、戦前から有力政治家だった人々だ。社会の多数派も戦前育ちで、「神武景気」「岩戸景気」といった言葉を普通に使っていた。

 つまり日本国憲法の施行から10年以上たっても、社会の「実在」は大日本帝国憲法の時代から大きく変わっていなかった。政治学者の丸山眞男が、1964年に「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」と記したのは、そうした時代のことだ(〈4〉)。

 だがその後、日本社会は急速に変化した。言葉と実在が肉離れした現代の「保守」の論調を読んでいると、丸山の言葉とは逆に、「『戦後民主主義の実在』よりも『大日本帝国の虚妄』の方に賭ける」という姿勢であるように思える。

 彼らの論調からは、現状の閉塞(へいそく)から脱却したいという焦燥は読み取れる。だが脱却したあと、どんな社会を建設するかの展望がみえてこない。彼らとて、「戦後レジーム」から脱却しさえすれば、すでに失われた伝統や共同体に戻れると信じているわけではなかろう。それで「脱却」を唱えても、現実嫌悪と破壊衝動の域を出ない。これでは、「生き方」から遊離した急進的理念を批判する「本来の保守」とは真逆(まぎゃく)である。彼らの運動を不安視する人が多いのも無理はない。

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 安倍首相の公式HPには、現在も「戦後レジームからの脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠です」と書かれている(〈5〉)。そして首相は5月3日、9条の1項と2項を維持しながら、自衛隊の記述を加える改憲を提言した。

 だが各種世論調査をみると、自衛隊が評価されている度合いほどには、改憲支持が高まっていない。その一因は、その後の展望が示されていないからだろう。

 確かに自民党は、今後の日本の設計図として独自の改憲草案を公表した。しかし、それが広範な支持を得られない内容であることは、首相自身も認めている。だから、より限定的な改憲を提起した。だが一方で、首相は「党の目指すべき改正はあの通りだ」と述べている(〈6〉)。

 これでは国民の不安は払拭(ふっしょく)されない。まず首相が、9条1項・2項の堅持と、それを含む憲法の尊重を表明し、総裁として党内をその方向で統一すること。そのうえで、現在の自民党草案を正式に破棄すること。その前提なしに提言をしても、自民党草案の実現にむけた「はじめの一歩」ではないかと映ってしまう。それでは、9条3項の「加憲」を、単独の条文として議論することもできない。

 私自身は、「大日本帝国の虚妄」に賭けるよりも、「戦後民主主義の実在」に立脚する方を選びたい。それが「本来の保守」にも認めうる考え方であることは、理解してもらえるはずだ。

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 〈1〉「操舵(そうだ)室から」(正論2013年11月号)

 〈2〉八木秀次「保守とは何か」(正論17年3月号)

 〈3〉小川榮太郎「『保守主義者』宣言」(同)

 〈4〉丸山眞男『現代政治の思想と行動』(増補版=1964年)

 〈5〉安倍晋三憲法改正」(公式ホームページ、http://www.s-abe.or.jp/policy/consutitution_policy別ウインドウで開きます)

 〈6〉安倍晋三・首相インタビュー「自衛隊の合憲化 使命」(読売新聞5月3日)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞毎日出版文化賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞を受賞。
    −−「論壇時評 現代の保守 「大日本帝国の虚妄」でなく 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2017年05月25日(木)付。

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