覚え書:「フロントランナー 奥田知志さん 「困窮経験者もやがて支援する側に回れる」」、『朝日新聞』2017年06月03日(土)付土曜版Be。

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フロントランナー 奥田知志さん 「困窮経験者もやがて支援する側に回れる」
2017年6月3日

写真・図版
「軒の教会」とも呼ばれる東八幡キリスト教会の日曜礼拝。聖書の教えを説く語り口は時に落語を思わせ、信徒約80人の笑いを誘う=北九州市八幡東区
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 (1面から続く)

 ――北九州市で5月に起きたアパート火災では、6人が死亡。うち1人は、奥田さんのNPO法人が伴走してきた人でした。

 元ホームレスで年金暮らしの77歳。彼を含め、身元が判明したのは4人。身よりのない人たちが多く暮らす場所だったんです。全国の超安価な賃貸住居でも同じような状況でしょう。

 ――そうした人たちに、30年近くかかわった。

 僕らの「伴走型支援」は、一人ひとりを記憶にとどめていきます。データベースに登録した2千人以上について、スタッフ18人が体調や生活状況を見守り、情報を蓄積。職探しや家探しなども一緒に試み、看取(みと)りまで続けます。

 住居を得て自立した人でも、死後に家族が迎えに来るのは半数。火災で亡くなった男性も引き取り手がなく、私が葬儀をあげ、教会の納骨堂に安置しました。

 ■悩んで泣いた

 ――NPO法人はどんな態勢ですか?

 現在スタッフ100人以上を抱え、7割が正規職員。行政からの委託を含む年間事業費は5億円ですが、伴走型支援にかかる2千万円以上は寄付金頼みで、決算は赤字です。

 ――市内の路上死はここ数年はゼロ。でもかつては最多で年に十数人も。

 僕らが弁当を持って訪ねるおじさんたちは当時、生活保護や医療を受けるには入院しかなく、それも瀕死(ひんし)になるまで放置された。亡くなるたびに悔しくて「お前らが殺した!」と役人に罵声を浴びせました。

 ――行政と対立した?

 2000年夏、僕らの炊き出しが排除されかけたんです。その際、アパートに暮らす元ホームレスが前に進み出て、僕らを指さすと「この人たちが全部やってくれた」と言った。いや実は、全部なんてやっていなかった。それで行政との交渉をやめて01年、なけなしの金でアパート5室を借り、九州初の「自立支援住宅」をつくりました。

 ――困窮者が自立に向けて半年間を過ごす施設ですね。70人も応募したとか。

 65人を落とさなければならなくなった。入れない人がもし翌日亡くなったら? よいことをしている興奮は冷め、選考会議は日付が変わっても結論を出せず、僕は「罪人の運動」とホワイトボードに書き殴った。

 しょせん罪深い、弱い人間のやることに過ぎないのだと。翌週の炊き出しで、許してほしいと泣きながら謝ると、「頑張れ」の声と拍手が起きました。

 ■孤立させない

 ――02年、通称「ホームレス自立支援法」が成立した。

 北九州市が翌03年、「巡回相談や自立支援センターの運営を任せたい」と言ってきました。僕はその秋から、キリスト教を勉強しにドイツ留学を決めていたので、悩みに悩んで居残りを決めたんです。

 すると、もともと留学に反対だった教会のメンバーが「ホームレスの言うことなら聞くのか」と怒る。礼拝に来る2割が去り、献金も激減しました。だから僕1人が引っ張ってきた教会の運営を、信徒全員で担う方式に変えたのです。

 ――同じころ、長男の愛基(あき)さんが不登校に。

 野宿状態の人には「人間生きてりゃいい」と言いながら、自分の子には「将来どうすんだ!」と心の中で責めてしまう。息子がたった1人で離島へ渡った時、僕は親の責任を放棄しているのではないか、と苦しみました。でも島の里親さんに「助けてください」と泣いて頭を下げて、気がつきました。僕を含む大人が助けを求められない状況が、子どもを追い詰めるんだと。あの時、息子を連れ戻していたら、死なせてしまったかもしれません。

 ――14年、法人名を「北九州ホームレス支援機構」から「抱樸(ほうぼく)」にしたのは?

 抱樸は老子の言葉。僕は「ささくれだった原木を抱けば自ら傷つく」との意味を込めています。僕らも傷を負いながら、汗と涙で困窮者に伴走します。実際、大変な人もいっぱいいて、しんどい。悩み抜く。でも、その「原木」との出会いの中で、自身が救われることもある。

 ――人と地域とのかかわりをつくることに力を入れています。

 ホームレスは不幸、役に立たない、危険というイメージが根強い。でも、極限状況に身を置いた本人だからこそ語れる言葉を持っている。僕らは、ホームレス経験者でつくる「生笑一座(いきわらいちざ)」を抱えています。

 ――何ですか?

 劇団のようなもので、誰からも心配されず、ひそかに自ら命を絶とうとした過去を、小中学校などで語ります。いじめや不登校がなくならない中、「つらい時は『助けて』と言っていい」というメッセージをしっかり伝えながら、年20回ほど全国を回っています。

 困窮を経験した人も、伴走者がいれば、やがて自分の生きる意味を見いだし、支援する側に回れる。社会で孤立させない。人間弱いから独りはいかんのです。

 ■プロフィル

 ★1963年、大津市生まれ。祖父は神主だった。幼いころの夢は落語家。友人に誘われてキリスト教会に通い始めた。

 ★82年、関西学院大神学部で学びながら、大阪・釜ケ崎でのボランティア活動を開始。

 ★88年、バプテスト派について学ぶため、福岡市の西南学院大へ。妻の伴子さんと結婚。北九州市のホームレスに、おにぎりを配り始める。

 ★90年、日本バプテスト連盟の牧師として、北九州市の東八幡キリスト教会に赴任した。

 ★2000年、NPO法人「北九州ホームレス支援機構」を設立。翌年、九州初の支援施設を開く。

 ★14年、NPO法人の名称を「抱樸」に変更。「生活困窮者自立支援全国ネットワーク」を組織し、共同代表に就任。

 ★愛読書は聖書。年間50回以上の講演を受け、全国を飛び回る。

 ◆次回は、カンヌ国際映画祭などの国際舞台でオリジナル作品が高く評価され、いまは後進の育成にも心血を注ぐ映画監督、河瀬直美さんの予定です。
    −−「フロントランナー 奥田知志さん 「困窮経験者もやがて支援する側に回れる」」、『朝日新聞』2017年06月03日(土)付土曜版Be。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12966458.html





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