覚え書:「耕論 公平さって何だ 山田健太さん、小口日出彦さん、中瀬ゆかりさん」、『朝日新聞』2017年06月14日(水)付。

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耕論 公平さって何だ 山田健太さん、小口日出彦さん、中瀬ゆかりさん
2017年6月14日 
 
 公平って、いったい何だろう。テレビの選挙報道で「公平さ」がよく議論されているけれど、そもそも世の中は不公平にできている気もする。「公平さ」は幻想なのか?

 

 ■あしき中立の広がり、心配 山田健太さん(専修大学教授)

 NHKと民放でつくる放送倫理・番組向上機構BPO放送倫理検証委員会は今年2月、昨年の参議院選挙や都知事選の報道に関して意見書を公表しました。視聴者から様々な意見が寄せられたため公平、公正に関する考え方を示した、とのことでした。

 意見書は、「求められるのは量的公平性ではなく、質的公平性」だという考え方を示しました。量的公平性とは、各候補者の発言をストップウォッチで測って同じにするようなものです。その必要はなく、「取材で知り得た事実を偏りなく報道し、明確な論拠に基づいて評論する」という「質の担保」こそが重要であることを明確にしました。

 さらにBPOは、選挙の放送について「真の争点に焦点を合わせて、各政党・立候補者の主張の違いとその評価を浮き彫りにする挑戦的な番組が目立たない」と批判しています。放送局自らが「量的公平」の確保という誤った考えにしばられ、「表現の自由」や「選挙報道の自由」をないがしろにしていることに警鐘を鳴らしたのです。

 各候補や政党を同じ時間で扱えば、どこからもクレームはこない。その方が放送局の幹部は楽です。そうした姿勢は、一般のニュース番組にも広がり、異なる立場の意見を同じ時間で伝えるという状況を生んでいます。

 日本のメディアは「発表ジャーナリズム」、つまり政府や企業などが記者クラブで発表した内容をそのまま伝えていると批判されます。政府や大企業は圧倒的な発信力を持っています。それだけにメディアは積極的に少数者の見解を取り上げ、社会における意見の多様さを保障する必要がある。これが「質的に公平な報道」の具体像です。

 政府は「政治的に公平であること」を定めた放送法4条を行政指導の根拠とします。自民党は、番組を巡り放送局幹部から事情を聴いたり、選挙報道の「公平中立」を求める文書を出したりしました。BPOの意見は、自らが政府や政権党による介入の防波堤にならなければいけない、という強い危機感の表れです。

 ただ、何よりも重要なのは現場の強さです。各放送局は独自に番組基準を定め、番組審議会があります。まずは個々の放送局が判断するのが本来のあり方で、現場は悩みながら議論し、手法を考える。何でも「BPO任せ」は、放送局の足腰を弱めます。

 テレビの風潮が蔓延(まんえん)しているのか、最近、美術館や公民館など公的機関でのイベントが「政治性を有する」として排除されています。あしき「中立原理」「事なかれ主義」、忖度(そんたく)や自主規制が放送だけではなく社会にも広がっている。そうしたBPOの委員たちの懸念が、意見書には込められていると思います。

 (聞き手・桜井泉)

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 やまだけんた 59年生まれ。専門は言論法。BPO放送人権委員会委員をかつて務めた。著書に「放送法と権力」など。

 

 ■情報の偏り、ある意味当然 小口日出彦さん(情報分析・表現コンサルタント

 昨年の参院選東京都知事選のテレビ報道をめぐり、BPOが表明した質的、量的な「公平性」の考え方はもっともだと思います。ただし検討したのは一つの選挙、一つの放送局、一つの番組の公平性でした。実際に起きたことを把握するには、テレビという情報「系」の全体の動向を俯瞰(ふかん)する必要があります。

 私は、自民党が政権を失った2009年夏の衆院選挙後から政権復帰後の13年夏までの間、同党の「情報参謀」役を務めました。そのとき活用したのは、テレビに映ったものすべてをいったんバラバラに分解した「メタデータ」です。これを事象ごとに再構成して報道の量や集中具合を分析し、局や時間帯を超えたテレビ報道全体の中で、自民党がどのように扱われているかを見ました。

 当初、与党となった民主党の露出度は自民党を圧倒していました。蓮舫氏らが中心になった「事業仕分け」などが注目され、一時は政治報道の中での自民党の露出度は2・9%にまで落ち込みました。一方、民主党が主役の報道は65・4%でしたが、中身を見ると、民主党に批判的、否定的な内容が9割以上を占めていました。そこで自民党は、相手のダメな点、弱点を徹底的に追及する戦術を採り、それが奏功した。フェアではないと思われるかもしれませんが、それ以外に露出のチャンスはほとんどなかった。

 報道というものは、人々が注目しやすいテーマを優先的に扱います。政策を実行する政権を握り、議会でも多数派を占める与党が注目を集めるのはある意味当然です。

 当時の両党に関する報道の量を比べると、公平だとはとても言えなかった。でも、自民党は、公平でない報道の特徴を分析し、どうしたら自分たちのメッセージをメディアにのせられるのか、をしたたかに考えていました。

 報道が特定の事象に集中する傾向は近年ますます強まっています。テレビが報道し、インターネットのSNSやブログで取り上げられる。それをテレビが再び取り上げ、増幅していく現象が起きています。今年3月には森友学園問題の報道が集中し、ネット上でも「情報爆発」が起きた。

 これはある程度、避けられません。このメディア環境のもとでは、情報を受け取る側がそうした実態を知り、分別を持つことが重要です。情報が、どういう訳でそのように扱われているのかをかぎ分ける力を持たなければなりません。メディアリテラシーの重要性は急速に増しています。

 情報と人間の関係は急激に変わっています。人々はまだその環境に慣れていない部分がありますが、いずれ適応するでしょう。私はそこに期待しています。いまは過渡期なのだろうと思っています。

 (聞き手・吉沢龍彦)

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 こぐちひでひこ 61年生まれ。情報分析などを手がける「パースペクティブ・メディア」社長。著書に「情報参謀」。

 

 ■不公平な世で居場所探す 中瀬ゆかりさん(新潮社出版部長)

 情報番組でコメンテーターをしていますが、「政治的公平に気をつけて」と放送の前後に釘を刺されたことはありません。苦情があっても私の耳に入れないよう守ってくれているのかもしれませんが。

 テレビでは、時々の率直な気持ちにやや軸足を乗せて話そうと思っています。文部科学省の前次官が会見で、出会い系バーに行ったのは「女子の貧困調査のため」と説明したのに違和感があって翌日のテレビで「ガクッとなった」とコメントしたんです。その後、週刊文春で「お世話になった」という貧困女子の報道が出て「一分の真実があったのかも」と思いましたけど。

 公平な意見だと、誰も傷つけないけど幸せにもしない。気を使うあまり、最後につまらない公平さだけがぽつんと残って何の意味があるのか。

 週刊誌はテレビや新聞ほど公平を意識しません。むしろ、ステレオタイプの「公平さのてんびん」を、違う角度の事実をぶつけてゆさぶっている。以前、メディアで英雄視されていた義足のランナーが、実は足をわざと切断していたという記事が週刊新潮に載りました。美談一色の取り上げ方に一石を投じ、てんびんを少し揺り戻す、という意味で公平の思考を使っているんです。

 いまの社会はむしろ「不公平さ」に過剰に敏感ですよね。情報過多も手伝って、誰かがこっそり得をしているのは許せない、という不公平感が共同体を覆っている。でも完全な公平なんてもはや、というかハナから幻想なのではないでしょうか。

 不公平な世の中でいかに自分の居場所を探すかが人生の課題だと私は思っています。でも幻想だからそんな理想は捨ててしまえ、とは思いません。極端な思想に走るのを戒める意味で、公平をうまく使うことが大事だと思います。

 何が公平なのかは時間がたってみないと分からないこともある、とも思いますね。子どもの頃、親が、できの良い姉を私より愛していると思いこんでいました。母にいつも「ねえ誰が一番好き?」と聞いていたんです。「同じだけ好きだよ」と言われても「そんなはずはない」と。姉にはたくさん来た見合い話が、私には一つも来なかったしね。親は私を教師にしたかったようですが、言っても聞かないだろうと就職の時も何も言わなかった。

 でも最近、姉が「お母さんが一番好きなのはゆかりだよ」と言うので驚きました。この前も母が電話で「あなたと話すと気分が明るくなるわ」なんて笑うのを聞くと、私のひがみだったのかと思うこともあります。ただ、期待されていないと思ったから、東京に出て好きな仕事に就けた。不公平感がむしろ私を育ててくれたと感謝しているんですよ。

 (聞き手・田玉恵美)

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 なかせゆかり 64年生まれ。「新潮45」編集長、週刊新潮などを経て現職。フジ「とくダネ!」、MX「5時に夢中!」に出演中。
    −−「耕論 公平さって何だ 山田健太さん、小口日出彦さん、中瀬ゆかりさん」、『朝日新聞』2017年06月14日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12986070.html





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