覚え書:「耕論 PKO四半世紀 明石康さん、谷山博史さん、辻元清美さん」、『朝日新聞』2017年06月15日(木)付。

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耕論 PKO四半世紀 明石康さん、谷山博史さん、辻元清美さん
2017年6月15日

 国連平和維持活動(PKO)への参加に道を開いた国際平和協力法が成立して、25年がたった。日本はどんな貢献をしてきたのか。国際支援に向けた社会の意識はどう変わったのか。

 ■背伸びせず、日本の流儀で 明石康さん(元国連事務総長特別代表)

 25年前、国際平和協力法(PKO法)が制定されたのは良いことでした。日本が諸外国とともに平和維持活動に参加するのは、当然のことですから。その後、アフリカなど現実が厳しくなり、国連PKOは変貌(へんぼう)しました。日本も南スーダンに派遣するなど、厳しくなる現実に緩やかに合わせてきたと言えます。

 PKOの古典的な活動は、停戦が成立しているところで紛争当事者が停戦ラインを越えないか監視することでした。PKO法案の審議で、私も参考人として参議院に呼ばれましたが、念頭にあったのは古典的なPKOでした。

 しかし、カンボジアの任務は、これまでのPKOにない多目的なものでした。現地では日本のPKO5原則からはみでる行動もあったと思います。5原則が非現実的なんです。その後のユーゴスラビアでは「平和なきところでの平和維持」という自己矛盾の中での活動でした。

 現在のPKO活動は拡大し、危険な状況に置かれた「市民の保護」に比重を置いています。それに伴い武力を用いた活動も増えています。破綻(はたん)国家のような状況下での活動では、やむをえません。

 現地の状況は必ずしも日本政府や国連安全保障理事会が考える通りではありません。現場は悩みながら、採るべき最適な手段を決める。最低限の自衛権の行使をせざるを得ない時もある。原則や法律で縛らず、現場で柔軟に判断できるようにするべきです。

 一方で、だからこそ、現地司令官には武力ではなく、平和的な解決をぎりぎりまで追求する覚悟が求められます。

 日本政府は歩兵的な部隊を派遣したいようですね。それが間違いだとは思いませんが、すべての国が同じ仕方で参加する必要はありません。日本らしいやり方で背伸びせず参加すればいいのです。

 一昨年、国連のPKO担当の事務次長と話すと、日本にはテクノロジー分野の期待が大きいと言っていました。橋や道路を造る施設部隊の派遣や、運輸や通信などです。

 カナダやノルウェースウェーデンなどは、可能な範囲で役割を担ってきました。例えば、カナダは派遣部隊の研修を担当してきました。日本も、アジア諸国と一緒にこうした研修にも取り組んでほしいですね。

 憲法改正すべきか、ですか? どちらでもいいですね。憲法の字句を虫眼鏡で見るべきではありません。憲法の基本精神や原理に矛盾しない国連参加の仕方はたくさんあります。PKOへの参加は平和主義に矛盾しません。

 戦前、日本は自分たちだけが特別だと考え、道を誤りました。同じ過ちを繰り返してはなりませんが、「あつものに懲りて」の感もある。外に開かれた強靱(きょうじん)な平和主義であるべきです。

 (聞き手・岡田玄)

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 あかしやすし 31年生まれ。元国連事務次長。90年代、カンボジアや旧ユーゴで事務総長特別代表としてPKOを指揮。

 ■軍事参加でNGO危険に 谷山博史さん(日本国際ボランティアセンター代表理事

 南スーダンが独立する直前の2011年のこと。私が代表を務める日本国際ボランティアセンター(JVC)はスーダン南部地域の事務所で、農村復興や住民の融和に向けた支援をしていました。

 周囲でいきなり市街戦が始まり、自動小銃を持った10人ほどの兵士が事務所に押し入ってきました。スタッフは縛られ、うつぶせ状態で軟禁されました。金庫は壊され、金品は持ち去られました。

 日本の自衛隊は当時、司令部要員のみを派遣していました。現地の国連のPKOは私たちNGO職員の居場所を把握していながら、救援部隊を派遣しませんでした。

 略奪をした兵士はスーダンの政府軍なのか、反政府軍なのか。武装した市民かも分かりません。誰が敵か味方かも分からない状態で発砲し、もし住民や政府軍を殺傷すれば、PKO自身が当事者になりかねないからです。よほどのことでなければ動けない、というのが現実なのです。

 日本ではその後、安全保障関連法が成立し、自衛隊に「駆けつけ警護」の新任務が加わりました。「NGO職員などが武装勢力に襲われた場合、武器を持って駆けつけて守る」という想定のようですが、現実は単純ではない。たとえ誤射であっても、住民を撃てば中立的なスタンスや友好国としての信用は一気に落ちます。自衛隊はもちろん、現地の日本人も攻撃対象になり、危険にさらされる。

 和平というのは、とてももろく、ガラス細工のようなものです。援助が一定の民族やグループに流れたというだけで反発が強まり、内戦に発展することさえあるのです。

 そんな現場でも、NGOは紛争当事者のどちらにも加わらない中立性の原則に徹し、貧困や差別など背景にある構造的な「暴力」を武力を使わずに取り除こうと、支援を積み重ねてきました。

 アフリカや中東などで活動していると、日本への信頼を強く感じます。これらの地域を日本が植民地支配した歴史はない。米国に原爆を2度も落とされながら、憎しみを超えて平和国家の道を歩んだ。そのイメージが崩れることで、失われるものの大きさを考えるべきです。自衛隊が軍事活動に参加すれば、日本のNGOの中立性が損なわれ、かえって危険になるのです。

 国際貢献は軍事面だけに限りません。多面的なアプローチがある。PKOは近年、住民保護という任務を強化しています。しかし、PKOだけでは紛争は解決されません。日本は憲法9条をもつ強みを生かし、「武力で紛争解決しない国」としての役割を果たすべきです。

 紛争当事者の対話に向けた外交的な働きかけや難民への人道支援、国造りの支援に力を入れること。それが憲法の要請です。

 (聞き手・岡本玄)

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 たにやまひろし 58年生まれ。タイやカンボジアアフガニスタンなどに駐在。「NGO非戦ネット」の呼びかけ人。

 ■自衛隊、海外で災害救助を 辻元清美さん(衆院議員)

 「過去の戦争を見つめ、未来の平和を創る」と掲げ客船で世界をめぐるピースボートを1983年に始めました。92年には自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に送られるカンボジアにも支援物資を届けた。当時は変わりもんに見られたけど、今は海外での人道支援への評価が定着し、NGOなどで関わる若者やシニア、特に女性が増えました。

 日本にいてもフェアトレードで途上国産品を適正価格で輸入したり、電気がなくても夜に勉強できるソーラーランタンを安く輸出したり。民間では、この30年で国際支援の意識が大きく広がりました。

 なのに政府は、91年の湾岸戦争以来の国際貢献コンプレックスから抜けきれない。とにかく大国として自衛隊を出さないと世界から取り残されるみたいな。PKOへの派遣もずっとそうでした。

 施設部隊を出して道路や宿営地を造るのは日本の特技ですが、自分たちだけで作業する大部隊は地元に雇用を生まず、技術も伝播(でんぱ)しない。南スーダン自衛隊の派遣先で昨夏に大規模戦闘が起きると、そうした危険を冒してまで道路を造らせる意味を政府は説明できなくなりました。

 この国際感覚のずれは海外で活動する日本のNGOにとっても深刻です。私は92年、カンボジアで借り上げたバスで移動中に、武装勢力に止められた。護衛の民兵もいたけれど制止し、私と通訳で交渉して事なきを得ました。駆けつけ警護をされたら撃ち合いになったかもしれません。

 民主党に入党した2011年、野田内閣が南スーダンPKO参加を決めました。疑問を持ち続けていた私は昨夏の戦闘後に撤収を主張。先月、南スーダンから部隊が無事戻ってよかったという思いで防衛省での式典に出ました。紛争当事者が混沌(こんとん)とする最近のPKOで、駆けつけ警護までして参加することが真の支援になるのか、今後、費用対効果も含め検証すべきです。

 陰湿なテロが増え、人道支援の現場は厳しさが増しています。だからこそ、地道に積み上げる漢方薬のような日本の手法が必要です。菅内閣首相補佐官として、自衛隊とは東日本大震災地震津波原発事故が重なった過酷な災害対策をやり、ボランティアとの連携にも努めた。その経験から提案したい。

 自衛隊を海外で本当に役立てるなら災害救助に送るべきです。スキルを高めれば日本でも役立ち、国民の理解も得やすい。自衛隊員や外務官僚は世界のNGOに出向し、人道支援の経験を積む。現場では武力よりコミュニケーション能力が重要なんです。

 四半世紀の国際貢献コンプレックスを脱却し、現地ニーズに合うしなやかな支援を、市民やNGO、政府の文民自衛隊と一緒に考えていきたいですね。

 (聞き手・藤田直央)

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 つじもときよみ 60年生まれ。学生時代に国際交流団体ピースボートを創設。96年に社民党から初当選。2011年に民主党に。
    −−「耕論 PKO四半世紀 明石康さん、谷山博史さん、辻元清美さん」、『朝日新聞』2017年06月15日(木)付。

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