日記:暴力を受けるということは、そのひとが自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう


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 私たちは生まれたときから、身体を生活にされ、なでられ、いたわられることで成長する。だから身体は、そのひとつの存在が祝福された記憶を留めている。その身体が、おさえつけられ、なぐられ、懇願しても泣き叫んでもそれがやまぬ状況。それが、暴力が行使されるときだ。そのため暴力を受けるということは、そのひとが自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう。
 それでも多くのひとは、膝ががくがくと震えるような気持ちでそこから逃げ出したひとの気持ちがわからない。そして、そこからはじまる自分を否定する日々がわからない。だからこそ私たちは、暴力を受けたひとのそばに立たなくてはならない。そうでなければ、支援は続けられない。
 被害を受けている子どもの多くは、困窮し頃つした家族のなかで育っている。
 生活が困窮するということは、ひとなみの日常を送るのが著しく困難になるということだ。そのためそこで暮らすひとびとの自尊心は、傷つきやすい状態に置かれてしまう。そこではほんの些細な出来事で暴力が発動する。暴力はさまざまなものに姿を変えるが、弱いものの身体に照準を合わせて姿をあらわす。暴力は循環し、世代を超えて連鎖する。
    −−上間陽子『素足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』太田出版、2017年、6−7頁。

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