覚え書:「社説余滴 核が踏みにじるもの 加戸靖史」、『朝日新聞』2017年08月18日(金)付。


        • -

社説余滴 核が踏みにじるもの 加戸靖史
2017年8月18日

社会社説担当・加戸靖史

 「離れるとなおさら思うの。こんないい街に、みんなで住んでたのになぜ、って」

 先月初め、福島県南相馬市小高(おだか)区で会った女性(80)は私に語った。

 6年前の東京電力福島第一原発事故で、20キロ圏の小高区は避難指示区域になった。同居していた息子夫妻と孫は女性と別れ、関西へ避難した。

 避難指示は昨年7月に解除されたが、避難先では仕事を続ける息子や進学した孫は当面戻るめどが立たない。「生きているうちにまたここで一緒に暮らしたいけど」。女性の言葉が私の胸を締め付けた。

 家族でともに暮らす。そういった「当たり前の幸せ」が原発事故のためにどれほど奪われたことだろう。

 先月23日付で、憲法施行70年の社説シリーズの一環として、「『原発と人権』問い直す」を書いた。国民の「当たり前の幸せ」を支えるはずの憲法が、原発事故には無力だった。その理由と教訓を自分なりに掘り下げたかった。

 調べて書いた。原発問題が憲法との関係で議論されたことはほとんどない。事故前だけでなく、事故後もそうだ。

 「これほど人権を脅かす存在が憲法に触れないのか」。社説を書くに先立ち、私が論説委員室の会議でこう提起すると、「言い過ぎでは」と同僚から指摘された。

 「原発は電気という大きな便益をもたらす。公共の福祉に合致する」との意見だ。

 それはその通りだろう。原発依存度が高い関西で暮らす私自身、原発の便益を無自覚に享受してきた。

 しかしその大きすぎる力は、憲法に抵触する危険性も常に秘めていると思う。

 やはり同僚に「同一視はどうか」とたしなめられたが、長く核兵器の問題を取材してきた私は、原発との間に共通項があると思えてならない。いざ人間側に牙をむけば、不特定多数の個人の人権をいともたやすく踏みにじる点だ。

 大学の法学部生だった時、憲法で最も重要な原理は13条の「個人の尊重」だと教わった。教科書で「三大原則」とおぼえた「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」もすべてそこが根拠だと。

 福島や72年前の広島、長崎で、核が引き裂いたのは無数の人びとの「当たり前の幸せ」だ。核兵器はもちろん、原発も、「個人の尊重」という至上原理と矛盾する存在ではないか。憲法との整合性を社会でもっと深く議論すべきだ、と私は考える。(社会社説担当)
    −−「社説余滴 核が踏みにじるもの 加戸靖史」、『朝日新聞』2017年08月18日(金)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S13091590.html



Resize9113