日記:「知った気でいる」という幻想

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 要するに、人間は実に多くの場面で、「知った気でいる」という幻想のなかにいて、本人もそのことに気づかずにいる、ということである。だからソクラテスは、この病の治療に邁進したのである。それがソクラテスの行った「問答」であった。
 この場合、治療を受ける人間が自分の病に気づけば問題はないが、気づかない場合、ソクラテスの問答は痛い目を味わうだけのものになる。身体の病気での治療でも、治療というものはたいがい不快なものである。自分がそのために苦しんでいる病には治療が必要であり、不快な処置がそのための最高の治療なのだとわかれば、人はがまんもする。しかし、自分が病をもっていることに気づいてさえいない人間が不快な治療を受けたとしたらどうなるのだろうか。おそらく、不当な処置だと怒り狂うだろう。
 まさにそういうことが起きたのである。自分の病に気づかずにソクラテスの治療を受けた人びとは、ソクラテスを嫌悪し、恨むようになって、結局これが原因になってソクラテスは裁判所に引き出されて死刑になったのである。ソクラテスの弁明のはじめに「真実のすべてをわたしは知っている」と公言しているのは、このことなのである。
    −−八木雄二『古代哲学への招待』平凡社新書、2002年、42頁。

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