覚え書:「文化の扉 歴史編 異説あり 松陰、過激な革命家 暗殺で政局転換を画策/弟子らが神格化」、『朝日新聞』2017年09月10日(日)付。

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文化の扉 歴史編 異説あり 松陰、過激な革命家 暗殺で政局転換を画策/弟子らが神格化
2017年9月10日

写真・図版
グラフィック・高山裕也  
 長州・萩の松下村塾で藩の子弟を教え、明治維新を担った多くの人材を育てたといわれる吉田松陰。しかし、その本質は教育者である以上に、革命家だった。幕府にとっては「危険きわまりない人物だった」と評する専門家もいる。

 吉田松陰は数えで30歳の若さで生涯を終えた。知られている経歴は次のようなものだ。

 1830年、現在の山口県萩市長州藩士の次男として生まれた。5歳で山鹿(やまが)流の兵学師範でもある叔父の養子となる。

 21歳から九州などへ旅し、知識人と交流。「国を守るためには今の政治体制では難しい」との思いから、幕府の大改造などを考えるようになる。54年、来日中の米軍艦に密航を試みて断られ、自首。投獄された。

 57年、叔父の開いた塾を継ぐ形で「松下村塾」を主宰。後に藩から公認された。身分にこだわらず多くの子弟を教え、奇兵隊を創設した高杉晋作や、久坂(くさか)玄瑞、入江九一(くいち)、吉田稔麿(としまろ)のほか、山県有朋伊藤博文ら、後に明治政府を担った高官が輩出した。

 59年、幕府の大老井伊直弼が推進した「安政の大獄」に連座する形で斬首されている。

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 しかし、このような「教育者」としての松陰像は、彼のごく一部に過ぎないらしい。

 萩博物館特別学芸員の一坂太郎さん(近代史)は「松陰の本質は教育者である以前に兵学者・革命家。要人暗殺により政局転換を図ることをいとわない点からは『テロリスト』と言ってもおかしくない」と語る。

 一坂さんによると、吉田松陰が斬首に処されたのは老中暗殺を計画したからで、実行しなかったが、米のペリー提督の暗殺も考えていた。久坂宛ての手紙でも、「今より手を下し、虜使(米の使節)を斬るを以(もっ)て任となせ」と挑発している。

 松下村塾が下級武士にも門戸を開いていたことから、農民を含めた平等思想を抱いていたかのようにも思われるが、「松陰は国を守るのは武士であり、武士こそが第一と考え、身分秩序を重視していた」と一坂さん。

 一方、松陰は、日本がアジアを制して西洋列強に対抗するという戦略を考えていた。「朝鮮を取り、満州を拉(ろう)し、支那を圧し 印度に臨み、以て進取の勢いを張り」と説いている。

 作家の原田伊織さんは著書『明治維新という過ち』で「その後の日本が、長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として(略)松陰の主張した通り(略)広大なエリアに軍事進出して国家を滅ぼした」と記す。

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 本当はどんな人だったのか。「テロリスト」という評価については、幕末と現代では常識が大きく異なっていた点を考慮する必要がありそうだ。

 一坂さんも「当時は言論が閉ざされると、暗殺がしばしば起きた。しかも日本には元々、劣勢な側が暗殺で状況を逆転するのを称賛する空気がある。赤穂四十七士がその典型」と話す。

 「松陰は純粋な人で、どうやって異国から日本を守るかしか考えていなかった」と一坂さん。ただし、明治初めまでは、その過激な思想家・革命家としての面が評価を受けていた。

 教育者という面が強調され始めたのは大正の終わりから昭和初めにかけてだ。1927年の「修身」の教科書には、松陰が松下村塾を開き、「尊皇愛国の精神を養うことにつとめました」とのみ書かれている。

 「松陰は死後、利用され続けてきた」と一坂さんは語る。

 松陰の尊皇攘夷(じょうい)思想は生前、長州では異端扱いされており、松陰は孤独だった。「尊皇攘夷は本来、倒幕という要素を含んだイデオロギーではない。にもかかわらず、長州では1862年以降、次第にそれが倒幕的色彩を帯びていく。それを正当化するため、久坂が、刑死した松陰を象徴として祭り上げた」

 その後も松陰は「尊皇愛国」の象徴として戦争遂行に利用されていく。使い勝手のいい虚像――。松陰がほめたたえられる時は、裏に思惑があると考えた方がいいのかもしれない。

 (編集委員・宮代栄一)

 ■松下村塾世界遺産

 松下村塾は2015年、「明治日本の産業革命遺産」として、同じ山口県萩市の「萩反射炉」「恵美須ケ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」「萩城下町」と並び、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。日本の工業化・近代化に大きな役割を果たした初代総理大臣伊藤博文が学んだ点が大きいようだが、「松下村塾は教育の場というより松陰主宰の政治結社」とみる研究者もおり、評価は割れている。

 <読む> 吉田松陰の実像や神格化されていく過程を論じたのが、一坂太郎著『吉田松陰久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」』(朝日新書)。一方、1936年刊の山口県教育会編『吉田松陰全集』(マツノ書店などから復刻)は今に続く松陰観を形づくった。
    −−「文化の扉 歴史編 異説あり 松陰、過激な革命家 暗殺で政局転換を画策/弟子らが神格化」、『朝日新聞』2017年09月10日(日)付。

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(文化の扉 歴史編)異説あり 松陰、過激な革命家 暗殺で政局転換を画策/弟子らが神格化:朝日新聞デジタル