覚え書:「風 バイロイト、ニュルンベルクから ワーグナーと帝国市民の亡霊 石合力」、『朝日新聞』2017年09月18日(月)付。

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風 バイロイトニュルンベルクから ワーグナーと帝国市民の亡霊 石合力
2017年9月18日
 
【動画】バイロイト音楽祭での楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」開演前にホールのバルコニーで前奏曲のメロディーが奏でられた=石合力撮影
 
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕、「ニュルンベルク法廷」を使った歌合戦の場面。ステージ後方に連合国(ロシア、英国、米国、フランス)の国旗が見える=バイロイト音楽祭提供

 ドイツのメルケル首相は、ワーグナー愛好家の聖地バイロイト音楽祭の常連だ。今年は7月末の開幕公演で新しい演出の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を楽しんだ。

 靴屋や金細工師など伝統職人の親方(マイスター)たちが歌手としての技量を競い、歌合戦の勝者が若い娘に求婚する物語は、ドイツの文化と芸術のすばらしさを歌い上げた名曲だ。半面、ワーグナー自身の反ユダヤ主義的な思想が登場人物などに反映されているといわれる。

 バイロイト音楽祭は、ヒトラーが足しげく通い、ナチスと一体化した負の歴史を持つ。今回演出を手がけたのは、ベルリンの歌劇場で活躍するオーストラリア人のバリー・コスキーさん(50)。ユダヤ系演出家による公演は音楽祭で初めての試みだった。コスキーさんが熟考したのは、ニュルンベルクという街が持つ多様な顔だったという。

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 楽劇で中世の理想郷として描かれたこの街は1933年以来、毎年ナチス党大会の会場になった。35年に制定された「帝国市民法」は、ユダヤ人から公民権を奪い、人種差別を合法化した。党大会のさなか、オペラハウスでヒトラーが楽しんだのが今回と同じ「マイスタージンガー」だった。

 コスキーさんの演出では、終盤の歌合戦の場面が一転して「ニュルンベルク裁判」の軍事法廷になる。第2次大戦後、米英仏ソ連の連合国がナチス戦争犯罪を裁いた場だ。主役の親方のハンス・ザックスは証人席に立ち、マイスターの栄光を引き継ぐことで「神聖なるドイツ芸術は変わらず残るだろう!」(北川千香子訳)と訴える。

 ドイツのすばらしさ、ドイツ人らしさにこだわる主張こそが、他者を迫害する理由にもなった。「劇中であなたが誰を演じるか、観客のあなたが誰なのかによって、心を乱し、乱されるものになる」。コスキーさんは演出の試みをそう解説する。

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 軍事法廷は記念館として保存される一方、重大事件の裁判所として今も使われている。8月末、法廷を訪ねて驚いた。その日、被告席に現れたのは、「帝国市民」を名乗る極右組織の男(49)だったからだ。

 この組織は戦前のドイツの存続を信じ、現ドイツ政府の存在を認めない。武装して納税を拒否するなど過激な行動を取ることで知られる。共鳴者は専門家の推計で約3万人にのぼるという。被告の男は、ニュルンベルク近郊の自宅の周りをペンキで線引きして一方的に「主権国家」だと宣言。昨年10月、自宅に踏み込んだ警官隊を銃で殺傷した罪に問われていた。

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 「ドイツ文化と芸術」を礼賛するワーグナーの楽劇を軍事法廷にかけ、その功罪を浮き彫りにする演出を認めたバイロイト音楽祭の度量の広さ。その法廷で、民主ドイツを拒み、「自分ファースト」を掲げる帝国市民の末裔(まつえい)の偏狭さ。どちらも今のドイツの一面なのだろう。現実と虚構が入り交じり、劇中劇に迷い込んだ錯覚を覚えた。

 (ヨーロッパ総局長)
    −−「風 バイロイトニュルンベルクから ワーグナーと帝国市民の亡霊 石合力」、『朝日新聞』2017年09月18日(月)付。

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(風 バイロイト、ニュルンベルクから)ワーグナーと帝国市民の亡霊 石合力:朝日新聞デジタル