覚え書:「耕論 ドイツ安定の理由 ラルフ・ボルマンさん、板橋拓己さん、サッシャさん」、『朝日新聞』2017年09月20日(水)付。



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耕論 ドイツ安定の理由 ラルフ・ボルマンさん、板橋拓己さん、サッシャさん
2017年9月20日


写真・図版
グラフィック・岩見梨絵

 24日に投開票されるドイツ総選挙は、メルケル首相の与党優勢が伝えられる。近年、世界を覆ったポピュリズムの風は弱い。ドイツ人はなぜ、「安定」を志向するのか。

 ■危機管理に優れた現首相 ラルフ・ボルマンさん(ジャーナリスト、作家)

 20世紀前半に大きなカオスを経験したドイツ人にとって、「安定」こそが何よりも重要な価値観です。歴代の首相をみても、戦後初代のアデナウアーが14年、東西ドイツの統一を成し遂げたコールが16年。メルケル首相もすでに就任以来12年になります。

 中でもメルケルは「安定」を擬人化したような人物です。金融危機のような混乱にあってもいつも冷静で、国民を安心させる。欧米諸国や旧西独出身の政治家たちは「世界の経済システムが崩壊する」とパニックになりましたが、メルケルは「世界の終わりではない」と言わんばかり。あわてて財政拡大に解決策を見いださず、長期的に何が良いのか、答えが出るまでじっくりと待ちました。

 それがどこからくるかと言えば、東西ドイツ統一の経験が大きかったと思います。旧東独で育った彼女にとって、ベルリンの壁の崩壊は、それほど衝撃的なものでした。

 一方、旧東独で彼女は「待つ」ことも学びました。車1台買うにしても、何年も待たなければならない。海外旅行が許されるのも年金生活に入ってからでした。世界は自分の思い通りにはならない。環境に適応していかなければならない。米国のトランプ大統領と向き合う姿勢の中にも、そんな旧東独での経験が生かされていると思います。

 彼女のライフスタイルはいたって質素です。ぜいたくなシェフを雇うことなく、今でも自分でジャガイモのスープを作っている。お店に並んで買い物もする。思慮深さに加えて、こうした生活ぶりも私たちプロテスタントの価値観を反映し、人気につながっているように思います。

 彼女は、理想主義者なのか現実主義者なのか、という問いを受けますが、彼女にとってそれは同じことなのです。答えは彼女が愛読する英国の哲学者カール・ポパーの考え方にあります。自由と民主主義をとても大切に考えていますが、その社会では、すべての価値観は相対化されうる。すべての理念は、トライ&エラーのシステムによって検証され続けなければならないという考え方です。脱原発同性婚の合法化をめぐる態度の変化も、彼女なりの検証の結果なのでしょう。

 確かに彼女には、コールに見られたような壮大な「ビジョン」はありませんが、今の時代にビジョンは必要なのでしょうか? むしろ、危機をマネジメントすることによって存在感を増していったという意味で、1970年代の首相シュミットに似ているのかもしれません。

 近年、世界をポピュリズムが席巻し、民主主義の危機が叫ばれています。世界が破滅的な状況になるのを防ぐ危機管理能力こそが求められている気がします。

 (聞き手・高野弦)

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 Ralph Bollmann 69年生まれ。独フランクフルター・アルゲマイネ紙記者。邦訳書に「強い国家の作り方」。

 ■のぞく自国中心主義の顔 板橋拓己さん(成蹊大学教授)

 ドイツでメルケル首相が支持されるのは、周りの国々への不安からきているのではないでしょうか。英国は欧州連合(EU)を抜け出す選択をし、フランスやオランダでは右翼政党が議席を伸ばした。だからこそ、メルケル首相が自由民主主義を守っていると感じているドイツ人は、「安定」を選ぶのでしょう。

 ただ、私は「メンタリティー」という言葉はあまり使いません。「ドイツ人だから」というよりは、制度や歴史で説明される部分が大きいためです。

 例えば、戦後ドイツは「ナチスを二度と生み出さない」ということを国是にしてきました。ただ、1950年代は「自分たちがしたことを思い出さない」という時代でした。ナチのシンパもたくさん社会にいたし、元ナチ官僚がそのまま官僚を務めていたこともあって、自分たちがしたことに向き合うには生々しすぎたからです。ホロコーストユダヤ人虐殺)などを「自己批判」する動きは、68年の反体制運動で前の世代を否定する動きや、ホロコーストを扱った米国のテレビドラマが注目されたことが背景にありました。

 「外国人嫌い」をタブー視するのもドイツ社会の特徴です。しかし、ドイツ人だから外国人に親切なのではありません。人々の一部に「外国人嫌い」がいるのは他国と同じ。ネットでは「国へ帰れ」などの「ネトウヨ」の言葉が飛び交っています。

 ドイツでは教育や法律で人種差別を禁じる規範を作ってきたのです。人種や宗教の差別発言は憲法違反にあたり、刑法犯に問われます。「表現の自由」は通用しません。

 「自国第一」を公言するのをはばかるのもこの国の特徴ですが、そのせいか、選挙戦を見て感じるのは、経済的にはEUで指導的地位にあるのに、EUに関する議論が驚くほど少ないことです。英国はEU離脱を選び、フランスでは5月の大統領選で勝ったマクロン氏がユーロ圏の共通予算を提案している。ドイツはどうするのか。その答えが論じられていない。

 一方で、ユーロ危機では最終的に支援こそしたものの、ドイツの財務相はスペインやギリシャに「ドイツのようになれ」と求めました。ドイツは憲法基本法)で、国の借金に制限をかけています。貯蓄や倹約を好むドイツを見習って「構造改革をしなさい」と痛みを迫ったわけですね。

 つまり、EUレベルでメルケル政権が見せた態度は、「怠け者の他国のためにドイツのお金を使いたくない」という、まさに自国中心主義だったわけです。「外国人には優しく」と考える人が多い割には、自国の行使している権力に無自覚なところがあるようにも見えますね。

 (聞き手・疋田多揚)

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 いたばしたくみ 78年生まれ。専攻は国際政治史。16年から独ケルン大客員研究員、ボン近郊在住。著書に「黒いヨーロッパ」。

 ■「なぜ」問い詰め、決定尊重 サッシャさん(タレント)

 ドイツ人と日本人はどちらも勤勉でルールは守る。似ているところが多いだけに違うところがはっきり見えます。

 ドイツも会議が多くて長い。ただ、鶴の一声で決まるようなことはありません。究極に空気を読まない人たちで、納得できなければ理由を求めて延々と議論します。ただ、決まれば従う。だから、できあがったモノやシステムには安定感があります。

 ドイツ語のwarumとwiesoは、どちらも「なぜ」「どうして」という意味ですが、ドイツ人が一番好きな単語じゃないかな。

 僕は小学3年までドイツにいて、あらゆる場面でなぜを問われる環境に慣れました。たとえば遅刻。謝る謝らないかより、理由を説明できない方が怒られます。「前夜に親戚の集まりがあって遅くまで起きていたから」と言えば、じゃあ寝る時間をあらかじめ決めておこうとか、次への解決の糸口が見つかります。

 理由を求めて、理解して、だからどうすると言えないとダメ。日本人からすると理屈っぽいんですが、なぜをあいまいにすると責任がはっきりしないし、進歩しません。

 こっちに来てとまどったのは、「つべこべ言わずにやれ」と言われること。ドイツでは、子どもからも「なぜ」と聞くのが当たり前でした。

 いま分かるのは、教育もナチスの反省の上に立っているということです。抑圧的じゃいけない、と。理由も分からずにみんなと同じことをすれば個性がなくなるし、全体主義につながる。

 戦前も一個人は悪人じゃなかったはず。それが、ナチスが政権を取るとユダヤ人の友達もいたのに収容所で殺してしまう。人間の怖さです。ドイツ人はまじめだから、右向け右で良い方向に進めばいいけど、間違った方向に行くと大変なことになると、ドイツ人自身が分かっています。

 人間の本質は簡単に変えられないけど、集団行動のルールは変えられる。従順で扇動されるような子どもにしない。その考えが教育に出ていると思います。子どもを変えるのは、社会の未来を変えること。いちいちなぜを問い、それを尊重する。ドイツ社会の常識、行動の基盤です。

 メルケルさんが支持されるのは、政策の「なぜ」が分かりやすいからでは。東日本大震災後の脱原発やシリア難民の大量受け入れは、感情に動かされたのかもしれない。でも、戦後の歴史を踏まえて、人道的な正しさを尊重するのがドイツの常識です。メルケルさんの感情的決断のなぜは理解できます。

 「お母さん」と呼ばれていますが、決断に愛情や人間味がある。長く政権が続くのは、私利私欲とか党利党略とかではない「なぜ」を、彼女には見つけられるからだと思います。

 (聞き手・村上研志)

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 Sascha 76年生まれ。父がドイツ人、母が日本人。10歳でドイツから日本移住。J−WAVE「STEP ONE」などに出演。
    −−「耕論 ドイツ安定の理由 ラルフ・ボルマンさん、板橋拓己さん、サッシャさん」、『朝日新聞』2017年09月20日(水)付。

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(耕論)ドイツ安定の理由 ラルフ・ボルマンさん、板橋拓己さん、サッシャさん:朝日新聞デジタル