覚え書:「タンゴ・イン・ザ・ダーク [著]サクラ・ヒロ [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2018年01月28日(日)付。
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タンゴ・イン・ザ・ダーク [著]サクラ・ヒロ
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)
[掲載]2018年01月28日
■地下室に隠れた妻を追って…
朝、目を覚ますと、妻がいなくなっていた。
〈しばらく地下室にいます。何かあったら電話かLINEください。K〉
天ぷらを揚げていて小さな火傷(やけど)をし、顔を見られたくないのだという。
ほんの数日のことだろうと思っていたのに、妻は一カ月たっても地下室から出てこない。「僕」は妻の顔を思い出せなくなる。
サクラ・ヒロ『タンゴ・イン・ザ・ダーク』は最近多くの才能を発掘している太宰治賞受賞作である。
35歳の「僕」はN市役所に勤める公務員。1歳下のK(本名は恵)とは5年前に合コンで知り合い、3年前に結婚した。つまりごく平凡な夫婦である。他と多少異なるのは、Kはギターを「僕」はフルートをたしなむことで、結婚したばかりの頃は地下室でよくセッションを楽しんできた。
それにしたって、なんで地下室? 顔を見られたくないって、あなたは黄泉(よみ)の国まで訪ねてきたイザナギを追い返したイザナミ? それとも天岩戸(あまのいわと)に立てこもったアマテラス?
だいたいKはほんとに生きているのだろうか。
会えないといってもKとはLINEでやりとりができ、「僕」が帰れば毎日きちんと夕食が用意されている。しかもプログラマーの経験をもつKは知らない間に世界中のゲーマーが熱狂する複雑なパズルゲームをリリースしていた。
〈僕がKだと思っているものは、ほとんど僕が勝手につくりあげた虚像に過ぎないのではないか?〉
人間の記憶はあてにならない。それはときに自分に都合よく改変され、存在したものを消し、存在しないものを出現させる。たとえばほら、あなたがよく知っているあの人だって!
村上春樹もかくやの思わせぶりではじまった小説が江戸川乱歩めいてくる後半の展開は秀逸。暗闇の中で二人が奏でるタンゴの名曲の果てに待ち受けていたものは……キャーッ! これ以上はいえません。
◇
79年生まれ。小説家、ライター。本作で第33回太宰治賞を受けデビュー。前回も最終候補になっていた。
−−「タンゴ・イン・ザ・ダーク [著]サクラ・ヒロ [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2018年01月28日(日)付。
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