覚え書:「文庫この新刊! 東直子が薦める文庫この新刊!」、[朝日新聞]2018年05月05日(土)付。

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文庫この新刊! 東直子が薦める文庫この新刊!

文庫この新刊!
東直子が薦める文庫この新刊!
2018年05月05日
 (1)『ちいさな桃源郷 山の雑誌アルプ傑作選』 池内紀編 中公文庫 972円
 (2)『ラオスにいったい何があるというんですか?』 紀行文集 村上春樹著 文春文庫 940円
 (3)『海辺の週刊大衆』 せきしろ著 双葉文庫 630円
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 新緑をゆらす風が気持ちいい。こんな季節こそ、ふらりとどこか遠くへでかけてみたい。せめてテキストの上だけでも。ということで、非日常の場所へ誘われる本を紹介したいと思う。
 (1)は、副題の通り、山の雑誌「アルプ」に掲載されたエッセーを集めたもの。当然、山に関わるエッセーが並んでいるのだが、書き手は、作家、詩人、哲学者、写真家、書家、学校の先生など、多岐のジャンルにわたる。「アルプ」は昭和三三年から五八年まで三〇〇号発行された。「私の家の庭続きに母方の祖母、そこから田圃(たんぼ)続きに曽祖母の家と、そのまわりの山畑、河原、小川は駆けめぐっても駆けめぐっても尽きない面白さがあった」と書いたのは、詩人の堀内幸枝。すでに失われてしまった時代の澄んだ空気が脳内を満たし、植物や動物、子どもたちや風が、生き生きと蠢(うごめ)きはじめる。
 (2)は、「紀行文」という呼び名が本当によく似合う。村上春樹は、自らの旅を描くとき、もっともリラックスしているような気がする。村上独自のユーモア、あたたかさ、茶目っ気が、その土地の個性をつやつやと輝かせてくれる。長い時を経て過去に訪ねた街を再訪した際の文章もあり、時代の変化と、作者自身に流れた時間経過がもたらす機微も読みどころ。表題に「ラオス」があるが、アジアよりも、ヨーロッパ各地やアメリカを描いた文章の方が多い。熊本地震の前後に熊本を訪問した記録もあり、ホットな一冊でもある。
 (3)は、漂流先の無人島には「週刊大衆」しかなかった、というシュールな設定の小説。無人島のサバイバル術は全く描かれず、この一冊の雑誌を巡る妄想がひたすら繰り広げられる。「週刊大衆」が存在する場面を想像したり、様々な指示代名詞を付与したりなど、その度毎(ごと)のイメージの違いを味わいつくす。「猿蟹(かに)合戦」と「週刊大衆」が結びつくなんて! 言葉でどこまで遊び尽くせるかを実験した一冊なのだと思う。この本を原作とした、又吉直樹主演の映画も、現在上映中。
 (歌人、作家)
    −−「文庫この新刊! 東直子が薦める文庫この新刊!」、[朝日新聞]2018年05月05日(土)付。

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