日記:これはお前らの罪だぞ


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 だが、われわれにとってこれよりも遥かに重要なのは、われわれがいかにしてみずからわれわれがいかにしてみずからわれわれ自身を照らし出し、審判し、浄化するかということである。上に述べた外部からの弾劾はもはやわれわれの仕事ではない。これに反して、ドイツ人の胸のうちに十二年このかた、はっきりと聞き分けられるかどうかという点で多少の差はあるにしても、少なくとも折に触れては聞こえてくる聞きのがすことのできない内面からの弾劾は、今もわれわれのもち得べき自覚の根源なのである。それはわれわれが、年寄りであろうと若かろうと、内面からの弾劾に処して、自分の力で自分をどう変えていくかというその考え方を通して、自覚の根源となるのである。われわれはドイツ人として罪の問題を明らかにしなければならない。これはわれわれ自身の問題である。外部から来る非難をどれほど聞かされ、この非難を問題として、かつはまた自分を映す鏡としてどれほど活用するとしても、このような外部からの非難とは無関係に、ドイツ人としての問題を明らかにするのである。
 「これはお前らの罪だぞ」という上述の文句はまた次のような意味をもち得る。
 お前らはお前らが甘受した政権の行った行為に対して責任を負うのだぞ、ということである。この場合にはわれわれの政治上の罪が問われているのである。
 のみならずこの政権を支持し、これに関与したのはお前らの罪だぞ、ということにもなる。この点にわれわれの道徳上の責任がある。
--カール・ヤスパース(橋本文夫訳)『戦争の罪を問う』平凡社ライブラリー、1998年。
    −−カール・ヤスパース(橋本文夫訳)『戦争の罪を問う』平凡社ライブラリー、74−75頁、1998年。

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