日記:人間の知性に対する信頼


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7 人間の知性に対する信頼
内田 SEALDsの運動の基本には、そういう人間の知性に対する根本的な信頼があると思うんですよ、無駄な議論を打ち切って、すぐに決めようと言う人たちは、長い時間をかけてことの理非を検証すれば、人間理性は正しい結論に至るということを本当は信じていないんだと思う。それは、激しい言葉を使って、論敵を論破したようとしたり、罵倒したりする人もそう。衆人環視のなかで人を「馬鹿野郎!」と罵ったり、完膚無きまでに論破しようとする人は、結局、聴衆のち生を信じていないわけです。「目の前でこてんぱんにやっつけて見せなければ、お前たちはどっちが正しいかわからないだろう?」と思っているから、ああいうことをする。聴衆の知性と判断力を信じていたら、ああいう話し方はしません。もっと丁寧に、情理を尽くして語るでしょう。
SEALDs KANSAIが今やってる仕事、「困った、困った」と言いながら「あれをやってみよう、これをやってみよう」と次々に試みていることは、すごく迂遠に見えるかもしれないけど、長期的・集団的には人間は大きくは判断を過たないという、人間の集合的な知性の働きに対する素朴な信頼が根本にあるような気がする。でも、今の政権は、はっきり言って国民の知性に信頼を置いていないでしょう。情報を開示しないのも、情報を全部開示すると国民は「間違った推論をする」と思っているからだし、原発や震災の被害状況を明らかにしないのも「パニックになるから」と言う。要するに、「お前たちはまともな判断ができないから、オレたちが代わってことの是非について判断してやるから、黙っていろ」ということでしょう。国民も立法府も司法も、行政府以外の人たちの知性を信用していない。だから、代わりに考えてやる、代わりに決めてやるという。SEALDsが提出した延会の動議の「もうちょっと話しませんか。もうちょっと悩みませんか。もうちょっと困ってみませんか」の根本には、困っているうちに何とかなって、それなりの答えにたどり着くはずだ、という知性についての楽観主義があるような気がして、僕はそこにすごく共感するです。
    −−SEALDs『民主主義は止まらない』河出書房新社、2016年、144−145頁。

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