[書評][評伝][仏教思想史][大学論][学問論][現代仏教][日本思想史][日本宗教史][神学][宗教学]拙文:「書評 『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』植木雅俊著」、『第三文明』第三文明社、2014年11月、96頁。


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書評
『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』
植木雅俊著
角川選書 定価1,800円+税

“本物の思想家”の学究の歩み 鮮やかに描き出す


 卓越した専門性を持ちながらも万学に通じた「本物の思想家」は、百年に一人か二人、存在する。中村元もそうした「本物の思想家」の一人である。古代インド哲学の研究から出発し、東西の叡智に遍く精通した。著書・論文の数は一四八〇点余りを数える。私塾「東方学院」を開き、学びを世に拓いたその業績は前人未踏である。本書は晩年の中村に師事した最後の弟子によって著された浩瀚な評伝だ。中村の思想の核心と慈愛に満ちた生涯を明らかにする。“世界の中村”の肉声を伝える本書を読むと、権威化した「奴隷の学問」を何ら恥じることのない日本の学者などどれも霞んで見えてしまう。中村は、間違いなく二〇世紀を代表する世界の碩学なのだと。
 中村は常に「分からないことが学問的なのではなく、だれにでも分かりやすいことが学問的なのです」と語り、平易な言葉で人間ブッダの実像を浮き彫りにした。しかしそのことが「厳かさがない」と強烈な反感を買ったというから驚くほかない。ブッダは、その教えをバラモンの使う権威的言語であるサンスクリット語で伝えてはどうかと提案を受けたとき、「その必要はない」と退けた。仏教東伝の歴史は、伝言ゲームの如き権威化、歪曲の歴史といってよいが、中村への批判は、さながら仏教の歴史を見ているようだ。中村が丁寧に腑分けするブッダの肉声に寄り添えば、その本義は「真の自己」に目覚めることだ。難解がありがたいのではない。学問とは理解され人間を活かすことに要がある。中村の学問的苦闘が学説を一新していく挑戦そのものが、仏教の本義と交差する。晩年、中村は、東西の思想を比較吟味して普遍的思想史の構築に専念する。その目的は「世界平和を実現する手がかりを提供すること」だという。
 「ただ今から講義を始めます」−−。真摯な探求は、死を目前にした昏睡状態の中でも続く。稀代の碩学逝きて十余年。著者は梵漢和を対照した『法華経』『維摩経』の画期的訳業で知られる。中村の魂は著者に間違いなく継承されている。僥倖を覚えるのは書評子のみでないだろう。
東洋哲学研究所委嘱研究員・氏家法雄)
    −−拙文「書評 『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』植木雅俊著」、『第三文明第三文明社、2014年11月、96頁。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金』=村山富市、和田春樹・編」、『毎日新聞』2014年09月28日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金』=村山富市、和田春樹・編
毎日新聞 2014年09月28日 東京朝刊

 (青灯社・1728円)

 慰安婦問題に、日本政府とアジア女性基金(正式名称・女性のためのアジア平和国民基金)は、どのような考えに基づいて、どんな活動を行い、どんな結果を残したのか。基金解散後の2007年に和田春樹氏らがまとめ、ネット上に公開したデジタル記念館の日本語版を出版した。慰安婦問題は今また日韓間の難題として議論を呼んでいる。基金理事長だった村山富市元首相らには、過去を検証し、現在の方策を考えるのに役立ててほしいという思いがある。

 アジア女性基金は、河野洋平官房長官談話に基づいて村山内閣が設立した。政府は48億円を支出し、国民から約5億6500万円を集めた。償い事業は、被害者1人当たり200万円の償い金と政府拠出の120万−300万円の医療・福祉支援、首相のおわびの手紙などからなる。

 本書は慰安婦募集の模様や慰安所の生活を歴史資料から解き明かす。被害者の証言は悲惨な体験を切々と訴えるものである。国・地域別実施人数によると、償い事業はオランダとフィリピンで何とか成功したが、韓国で受け取った被害者は3分の1に届かなかった。基金の努力と限界を見つめ直す必要がある。(俊)
    −−「今週の本棚・新刊:『デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金』=村山富市、和田春樹・編」、『毎日新聞』2014年09月28日(日)付。

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デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金

青灯社
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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『「らしい」建築批判』=飯島洋一・著」、『毎日新聞』2014年09月28日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『「らしい」建築批判』=飯島洋一・著
毎日新聞 2014年09月28日 東京朝刊


 (青土社・2592円)

 ◇ブランド信仰が強いる多額の国民支出

 少しエッセー風に書く。

 建築が好きだ。

 始まりは若い時にギリシャで観光ガイドとして毎日のようにパルテノンを見ていたことか。

 最近では五重塔をよく見る。法隆寺はさすが間然するところがないし、醍醐(だいご)寺も結構。先日見た山口の瑠璃(るり)光寺の五重塔は屋根が檜皮葺(ひわだぶき)で軽い分だけ軒下の木組みが華奢(きゃしゃ)に思え、大地に屹立(きつりつ)する感じが薄かった。山を背景に、手前に池を配して、絶好の視点を確保しているのは好ましいのだが。

 そして最近の建築はまったくおもしろくない。材料工学のおかげで素材が強くなって形態の自由度が増した分だけぺらぺらになった。妹島和世と西澤立衛が設計したルーブル・ランスは手頃(てごろ)な美術全集を立体化したようなコンセプトだが、そこでは建物は白いページでしかない。アルミとガラスではあんな風にしかならないのか。

 いちばん呆(あき)れたのが新国立競技場に選ばれたザハ・ハディド設計の案。まるで映画「未知との遭遇」のあのバカでかいハデな宇宙船が神宮外苑にいきなり降りてきたかのようだ。周囲とまるでそぐわない。なぜかと言えば土地をちゃんと見ていないのだ(第一案は敷地をはみ出していたとか)。

 そして、宇宙船は去るけれど競技場は居残る。

 ここまでは素人の感想。

 飯島洋一の『「らしい」建築批判』はこの感想があながち見当違いではないことを教えてくれた。彼が精緻に論証したところを要約すれば、東京オリンピック実現のために、ともかく目立つスタジアムを造るとアピールするというのが招致委員会の方針だった。それを受けて審査委員会は予算に目をつぶり(千三百億が建前だが実際にはその二倍でも足りないはず)、立地の状況を無視し、後はなんとでもなると強引に通した。

 その背景には「らしい」建築という原理がある。スター建築家の作品であればそれだけで歓迎される。それ以外の条件はどうでもよくて、人が一目見てザハ・ハディドの作だとわかることが大事。だから世界中にあの自転車乗りのヘルメットのような建物がぽんぽん配られる。早い話がブランドなのだ。プラダのバッグを持っている私だからデートして、と東京都はIOCにすり寄った。プラダの代金を国民が払う頃にはもうデートは佳境というしかけ。

 建築というものがこうなった理由の一つはコンピューター・グラフィックスだという。どんなデザインでも描けるからそれが一人歩きする。無理があっても工学的には造れてしまう。いわゆるデジタル・アーキテクチュアでは見た目が優先され、周囲との調和などは無視される。

 もっと根源的な理由を問えば、現代のスノビズムに行き着く。俗物趣味、「資本の力だけを人前で振りかざす」「成り上がり者」の意向が日本国民に三千億の支出を強いる。

 かつて建築家には思想があった。「ル・コルビュジエは、社会変革によって、多くの人に良質な建築を平等に、かつ安価に流布させるために、規格化と量産化をあえて試みた」が、ザハ・ハディド安藤忠雄伊東豊雄にその姿勢はない、と飯島は言う。

 伊東は「せんだいメディアテーク」という、特殊なガラスのチューブを多用した「らしい」作品の設計者である。その伊東が3・11の後、仮設住宅に住む人たちの話を聞いて「絶対に裏切れない、この人たちを」と思い、東北各地に「みんなの家」を建てた。

 これも伊東「らしい」というのはぼくの偏見か。
    −−「今週の本棚:池澤夏樹・評 『「らしい」建築批判』=飯島洋一・著」、『毎日新聞』2014年09月28日(日)付。

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「らしい」建築批判
「らしい」建築批判
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飯島洋一
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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『スターリン−「非道の独裁者」の実像』=横手慎二・著」、『毎日新聞』2014年09月28日(日)付。


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今週の本棚:加藤陽子・評 『スターリン−「非道の独裁者」の実像』=横手慎二・著
毎日新聞 2014年09月28日 東京朝刊


 (中公新書・972円)

 ◇レーニン後の強権像、修正すべき時期に

 ソ連あるいはロシアの歴史をひもとくとき、読み手は他の国の歴史を読むときとは別次元の緊張を強いられる。それが書かれたのはいつなのか、依拠した史料が作られたのはいつなのかなどに留意しつつ読まねばならないからだ。

 スターリンの書記長就任(一九二二年四月)、レーニンの死去(二四年一月)、粛清の開始(三六年)、スターリンの死去(五三年三月)、フルシチョフスターリン批判(五六年二月)、ソ連崩壊(九一年一二月)等々の前なのか後なのか。歴史を読むとは常にそのような行為なのだとの反論もあろうが、独裁者の失策を知った者が粛清される国、急速な工業化のための無理な食糧供出がなされ農民が餓死にまで追い込まれる国は、そうはあるまい。

 本書は、ソ連研究の第一人者が、スターリンを通じてロシアという国を理解し、ロシアという国を通じてスターリンを理解すべく書いた、折り目正しい歴史書である。最新の研究成果をあまねくふまえ、真偽を根気よく腑分(ふわ)けした著者のおかげで、ここに我々は最も信頼すべきスターリン伝を手にすることとなった。

 歴史の虚実に分け入る著者の手並みは、例えば次のような部分で確認できる。スターリン伝のあるものは、少年期のスターリンには既に暴君の片鱗(へんりん)が見られたなどと書く。だが著者は、そのような生徒だったら、教会学校の奨学生に採用され、奨学金を受け続けられたとは考えにくいと反論する。家族に冷淡だったとする見方にも、九三年に公刊された書簡集の母親宛の手紙を紹介しつつ、その手紙が母親の唯一読めるグルジア語で書かれていた点を指摘し再考を促す。興味深かったのは、著者が初訳したスターリン一七歳の詩だ。「わが友ニニカは年老いた」で始まる、農夫の生涯を描いた無題の詩は、井上陽水の「人生が二度あれば」を髣髴(ほうふつ)させる、情感豊かな詩にみえた。そんな馬鹿(ばか)な、とお疑いの向きは全文を本書でご覧あれ(四八−五〇頁(ページ))。

 本書の白眉(はくび)は、スターリンが権力闘争に勝利し最高権力者に登りつめた理由を、党と国家が二つながら置かれていた状況から説明した点にある。ヨーロッパとアジアにまたがる巨大な国家が、戦争から革命へと変貌する、その決定的瞬間において、党組織の問題と民族の問題に注意を払っていたのは、ボリシェビキ党広しといえどもレーニンスターリンだけだったとの指摘が重要だ。革命活動に従事する者のみを党員とし、党組織を軍隊の前衛部隊の発想から編成していったスターリンの戦略は、列強からの干渉戦争を国家が生き延びる際に重要な武器となったはずだ。また、民族問題への早い着眼は、帝国下の諸民族を連邦へと編成してゆく際の有効な説得材料となったにちがいない。

 二人の共通点は他にもあった。それは、政権を支える基盤となる食糧調達への仮借なさだ。九〇年代末に初めて公表された一八年のレーニンの電報には、「名うてのクラーク(富農)を民衆に見えるように縛り首にせよ」との命令がみえる。大衆的な人気のあったレーニンのあとを、強権的なスターリンが継いだとのイメージは修正すべき時期がきているようだ。

 急速な工業化を図るため、三二年から三三年に強行された農業集団化の失敗は、百万単位での農民の餓死をもたらした。だが、その犠牲の上になされた五カ年計画の蓄積があったことで、独ソ戦の勝利が連合国にもたらされたのも事実だった。スターリン評価が現在のロシアでなお二分されるゆえんだろう。
    −−「今週の本棚:加藤陽子・評 『スターリン−「非道の独裁者」の実像』=横手慎二・著」、『毎日新聞』2014年09月28日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140928ddm015070044000c.html





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