日記:虚構=架空の事物について語る能力


        • -

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち、架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
 現実には存在しないものについて語り、『鏡の国のアリス』ではないけれど、ありえないことを朝食前に六つも信じられるのは、ホモ・サピエンスだけであるという点には、比較的容易に同意してもらえるだろう。サルが相手では、死後、サルの天国でいくらでもバナナが食べられると請け合ったところで、そのサルが持っているバナナを譲ってはもらえない。だが、これはどうして重要なのか? なにしろ、虚構は危険だ。虚構のせいで人は判断を誤ったり、気を逸らされたりしかねない。森に妖精やユニコーンを探しに行く人は、キノコやシカを探しに行く人に比べて、生き延びる可能性が低く思える。また、実在しない守護神に向かって何時間も祈っていたら、それは貴重な時間の無駄遣いで、その代わりに狩猟採集や戦闘、密通でもしていたほうがいいのではないか?
 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通な神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。
    −−ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上』河出書房新社、2016年、39−40頁。

        • -

Resize8052

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
売り上げランキング: 44


サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
売り上げランキング: 107

覚え書:「書評:ゴッホの耳 天才画家最大の謎 バーナデット・マーフィー 著」、『東京新聞』2017年10月29日(日)付。

Resize9082


        • -

ゴッホの耳 天才画家最大の謎 バーナデット・マーフィー 著

2017年10月29日


◆素直な目と行動力で迫る
[評者]藤田一人=美術評論家
 姉の死と自身の病気をきっかけに一人の女性がゴッホの耳切り事件の真相究明にのめり込み、七年の歳月をかけて一つの結論にたどり着く。本書はその軌跡と成果が情感豊かに綴(つづ)られる。

 著者はそれまで、ゴッホの作品を数点しか観(み)たことがなかったという。そんな素人が、世界中の専門家によって研究が積み重ねられてきたゴッホ最大の謎に挑むというのは、無謀な試みと言えなくはない。ただ、素人ゆえに専門家の盲点をつくこともできる。彼女の豊かな想像力と我武者羅(がむしゃら)な行動力、そして時間と手間を惜しまない丹念な実証努力が、それを可能にした。

 一次資料のゴッホの書簡はもとより既存の研究に根拠の薄い逸話、伝説、さらには彼を取り巻くアルルの諸事情に至るまで、幅広くかつ謙虚に、耳切り事件に向き合っていく。その核心はゴッホが自ら切ったのは耳の一部か、全部か。最高権威のゴッホ美術館は一部説をとるが、諸説が入り乱れている。

 そんななかで、一般的なゴッホ像を決定付け映画化もされた伝記小説『炎の人ゴッホ』の作者アーヴィング・ストーンの取材記録から、事件直後ゴッホを診察した医師の取材で得た、耳のスケッチを発見。耳のほぼ全部が切られていたという証拠にたどりつく。

 そんな重要資料が、なぜこれまで日の目を見なかったのかは不思議だが、専門研究の盲点はやはりあるのだ。

 また彼女は、ゴッホが切った耳を手渡したのは定説の娼婦ではなく、娼館で働いていた小間使いの女性であることも探り当てる。では、ゴッホはなぜその女性に自分の耳を渡したのか。遺族から女性が身体に痛々しい傷痕があったと聞いた彼女は、自己犠牲の精神が強かったゴッホが自身の一部を捧(ささ)げることで、傷ついた女性の救いになろうとしたのではないか、と解釈する。

 ゴッホの狂気的行動の一端にも、人間的良心が息づき、それが彼の芸術を高めていった。素人の地道な探求心と想像力がそんなゴッホ像を構築した。

 (山田美明訳、早川書房・2376円)

<Bernadette Murphy> 英国生まれ、フランス在住の作家。

◆もう1冊 
 『ファン・ゴッホの手紙』(二見史郎編訳、圀府寺司訳・みすず書房)。一九九〇年に刊行されたオランダ語版書簡全集の邦訳選集。
    −−「書評:ゴッホの耳 天才画家最大の謎 バーナデット・マーフィー 著」、『東京新聞』2017年10月29日(日)付。

        • -




東京新聞:ゴッホの耳 天才画家最大の謎 バーナデット・マーフィー 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)



Resize8053


覚え書:「【書く人】過疎地でのみとり描く 『満天のゴール』 作家・藤岡陽子さん(46)」、『東京新聞』2017年11月05日(日)付。

Resize9083

        • -

【書く人】
過疎地でのみとり描く 『満天のゴール』 作家・藤岡陽子さん(46)

2017年11月5日


 「何かを成し遂げた人より、誰にも知られず踏ん張って生きている人にスポットライトを当てたい」

 看護師として働きながら小説の執筆を続ける異色の書き手だ。看護学生を描いたデビュー作『いつまでも白い羽根』から、シングルマザーのスポーツ紙記者が主人公の『トライアウト』など、ひたむきに生きる人々の姿をすくい上げてきた。最新作の本書では、過疎地域の終末期医療というテーマを選んだ。

 舞台は京都府北部の丹後地方の小さな町。夫に裏切られ、十歳の息子とともに故郷に戻った奈緒は、看護師として働きながら、孤独を抱える医師の三上と交流を深めていく。三上がへき地医療に従事する動機が、次第に明かされる彼の生い立ちと重なって、読者の胸を打つ感動作だ。

 執筆に当たり、過疎化の進む町を訪ね、医師を取材した。山間に住む高齢の患者を一軒一軒往診して回り、時にその最期をみとる姿に感銘を受けたという。「その先生の赴任後、町では自宅で亡くなる患者が倍増したそうです。取材の前は過疎地域で八十代、九十代の方が独居するのは難しいと思っていたが、周囲の力によって支えることができると実感しました」

 本書はまた、一人の女性の成長譚(たん)でもある。夫への未練を断ち切れず悲嘆に暮れていた奈緒は、守るべき息子のために一歩を踏み出す。「ちょうど私の周りで離婚した友人がすごく増えていて。つらさやしんどさを抱えながらも、たくましく生きる女性たちへのエールを込めました」

 自身も平坦(へいたん)とは言い難い道を歩んできた。大卒後、スポーツ紙記者となったが「光の当たらない人々の人生を書きたい」と、小説家を目指し退職。その後留学したタンザニアでは看護の道も志し、帰国して専門学校に進んだ。出産、育児をしつつ卒業。昼間働きながら、夜に執筆する生活を続けた。投稿作が編集者の目に留まり、デビューしたのは三十八歳の時だった。

 作家業が軌道に乗った現在も、週に一〜二回、脳外科医院で勤務を続ける。「看護師不足で辞めさせてもらえなくて」と笑うが、医療の現場で同僚や患者と接する経験は、作品にも生かされている。「人と人が関わることでいろんな思いが生まれる。これからも関わりの中で書き続けたい」

 小学館・一五一二円。 (樋口薫)
    −−「【書く人】過疎地でのみとり描く 『満天のゴール』 作家・藤岡陽子さん(46)」、『東京新聞』2017年11月05日(日)付。

        • -





東京新聞:過疎地でのみとり描く 『満天のゴール』 作家・藤岡陽子さん(46):Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)








Resize8054



満天のゴール
満天のゴール
posted with amazlet at 17.12.16
藤岡 陽子
小学館
売り上げランキング: 2,791

覚え書:「【書く人】しとやかという偏見 『舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>』 西洋美術史家・馬渕明子さん(70)」、『東京新聞』2017年11月12日(日)付。

Resize9084

        • -

【書く人】
しとやかという偏見 『舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>』 西洋美術史家・馬渕明子さん(70)

2017年11月12日
 
 芸者サイナラに思いを寄せる詩人のカミは、タイフーンという男と争ったのがもとで切腹を命じられる。しかし実は全て彼の愛を試そうとサイナラが仕組んだ芝居で、結局二人はめでたく結ばれる−。

 人名も展開も荒唐無稽だが、これは実際に一八七六年にパリで上演された喜劇「美しきサイナラ」。十九世紀末のパリでは、謎に包まれた極東の国・日本が、劇やバレエの題材として人気を集めていた。本書はそうした作品の数々の紹介を通して、当時の舞台芸術における日本観をひもとく。

 西洋美術史家として、浮世絵などが影響したジャポニスム(日本趣味)を研究してきた。館長を務める国立西洋美術館では今秋、自ら企画した「北斎ジャポニスム」展を開催。時を同じくして刊行された本書を「こちらのジャポニスムもぜひ知ってほしい」と語る。

 研究休暇でパリに滞在していた一九九九年、オペラ座の図書館の資料に「何だか変てこな名前の劇を見つけて」調べ始めたのが発端だった。図書館や古書店に通い、劇の解説や評論が載った雑誌などを収集した。画像が粗いものも多く、解読に苦労したうえ「絵画や彫刻のように形に残っていないし、先行研究もない。本になるまでずいぶん時間がかかってしまいました」。

 副題の通り、劇中で目立つのは、限られた情報を基に西洋が理想化した女性像だ。西洋人男性が母国と日本の女性の間で揺れ動く筋書きも多く、自立して教養を備えた西洋女性に対し日本人側は優しくかわいらしい、受動的な存在に描かれる。サイナラのような「ゲイシャ」もエキゾチックで魅惑的な存在として、まるで日本女性の代表格のように頻繁に登場する。

 二十世紀に入ると日本との接点も増え、こうした演劇は徐々に姿を消す。だが「幻想」の女性像は完全には消えなかった。「日本女性はしとやかで男性の思い通りになるという偏見は、今でも根強いものがあります」と指摘する。

 専門家として「賛美されている日本はすごいのだという視点だけでジャポニスムをとらえてほしくない」と願う。北斎が高い評価を受けて西洋美術に影響を与えたのと同じ時代に、幻想の対象として舞台で消費されていたもう一つのジャポニスム。「そういう歴史があったことも、この本で知ってもらえればと思います」

 NHKブックス・一七二八円。 (川原田喜子)
    −−「【書く人】しとやかという偏見 『舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>』 西洋美術史家・馬渕明子さん(70)」、『東京新聞』2017年11月12日(日)付。

        • -





東京新聞:しとやかという偏見 『舞台の上のジャポニスム 演じられた幻想の<日本女性>』 西洋美術史家・馬渕明子さん(70):Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)


Resize8055



覚え書:「トランプ氏と旧知→今は批判的報道 CNN社長に聞く」、『朝日新聞』2017年07月27日(木)付。

Resize9085

        • -

トランプ氏と旧知→今は批判的報道 CNN社長に聞く
中井大助、仲村和代2017年7月27日

 
インタビューに応じるCNN社長のジェフ・ズッカー氏=25日午後、東京都新宿区、長島一浩撮影
写真・図版
 朝日新聞のインタビューに応じたCNNのジェフ・ズッカー社長は、トランプ米大統領と旧知の仲だ。トランプ氏が「名経営者」というイメージを広めたテレビ番組に関わった経験が、大統領候補としての可能性に着目し、手厚く報じることにつながった。

トランプ氏のメディア攻撃「関心の裏返し」 CNN社長
ドナルド・トランプ米大統領
 ズッカー氏はCNNに移る前、長年にわたって米NBCで番組制作などに携わった。エンターテインメント部門のトップだった時、トランプ氏が司会役を務める番組「アプレンティス(見習い)」にゴーサインを出した。トランプ氏が出す課題に応じて出演者が競い合い、一人ずつ脱落していくという番組は2004年に放送が始まり、「お前はクビだ」というトランプ氏の決めぜりふと合わせて大ヒット。経営する会社が倒産を重ねていたトランプ氏のイメージを上げる役割も果たした。

 ズッカー氏は昨年の大統領選のCNNの報道を振り返り「トランプ氏の人気を理解し、他の報道機関と比べても早くから、本格的な候補者として扱った」と自負した。一緒に番組を作っていたことで「素晴らしいマーケティングの才能があり、観衆とつながることができ、メッセージを伝える方法を熟知していることが分かっていた」ことを理由の一つに挙げた。

 大統領候補になった後も、米メディアの多くはトランプ氏が11月の本選で敗北すると予想していた。しかし、ズッカー氏は投開票の前日、部下に「トランプ氏が勝つのではないか」と話していたという。「何年も間近で見て、他の候補者と比べてPRやマーケティングを理解していることを知っていた」と説明する。

 一方、大統領に就任したトランプ氏は自分に関するCNNの報道が批判的だと怒り、ツイッターで何度も名指ししている。「以前からつきあいがあった分、自分に有利な報道を期待していた部分もあるのではないか。でも、それは我々の仕事ではない」とズッカー氏は話す。

■事実語らない政権、指摘するのが役割

 トランプ政権になって、米メディアへの関心は高まり、政権をめぐる特ダネも相次いでいる。ズッカー氏は「これほど事実と向き合わない政権は前代未聞だ」と語り、政権の姿勢が報道への期待につながっているとみる。

 トランプ氏が大統領選に立候補した当初、CNNは演説で虚偽の発言が出てもそのまま放映していたが、途中からはテロップなどを使い、リアルタイムで間違いを指摘するようになった。ズッカー氏は「今から考えれば、集会をあれほど放送すべきではなかった」と語った一方、「そのことが原因で彼が大統領に当選したとは考えていない」と主張した。

 トランプ氏が大統領に就任してからも、CNNの記者が政権幹部に「発言が事実と異なる」と追及するなど、厳しい報道が続く。ズッカー氏は「事実を捉えることを苦手としているホワイトハウスと政権という、未知の領域にいる。事実を語らない人がいれば、それを指摘することが私たちの役割だ。結果的によりアグレッシブな報道だと受け止められるかもしれないが、我々が生きている時代を反映しているだけだ」と語り、自社の報道が「反トランプ」と言われることには反論した。

 米国ではメディア不信も広がり、トランプ氏の言動によって加速することも懸念される。しかし、ズッカー氏は「トランプ氏の攻撃を受けて、非常に多くの調査を実施したが、我々のブランド力がかつてないほど強いことがはっきりしている」と述べ、影響が限定的だとみる。「我々を信頼し、愛する人たちはより強くそのように思い、我々を以前から信頼しない人は今でもそうだ」という。

 インターネットの普及でいくつものメディアが誕生する時代。「多くの人は自分が好み、納得するメディアを探し出すようになった。素晴らしいことだが、先入観がいっそう強まる傾向が生まれる点では悪い」。メディアの状況が米社会の分断にもつながっている可能性をあげる。

 「ラジオやテレビ、インターネットで党派的な報道が増えたことが、この20年間における米国の政治状況の根本的な変化の一つだ」とズッカー氏。その変化を背景に誕生した政権をめぐる報道が、皮肉にも注目を集めている。「現在は本当に米国のジャーナリズムの黄金期だ。ただ、誕生した理由が不幸だ」(中井大助、仲村和代)
    −−「トランプ氏と旧知→今は批判的報道 CNN社長に聞く」、『朝日新聞』2017年07月27日(木)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/ASK7V7WLHK7VUTIL055.html





Resize9018

Resize8056