「無族協和」を謳う忘年会

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▼無族協和とは何か−−リイマジンド・フォーエバー(巨人軍は消滅しても、再想像は永遠です)

森巣 「五族協和」ってのがあったでしょう。一九三二年、満州国の建国宣言の中に出てきた言葉で、満州に住む五族が共存共栄していくことを説いていた。ちなみに、その五族ってのは、漢(漢族)、満(満族)、蒙(モンゴル人)、日(日本人)朝(朝鮮人)なんです。
姜 そうですね。
森巣 実はこれ、中国国民政府が五族代表の協和体制の実現を目指して北伐を展開していたのに対して、日本側が対抗したものでした。中国国民政府が使っていた言葉は「五族共和」と言って、満州国のそれとは一字違い。これに含まれる民族は、漢(漢族)、満(満族)、蒙(モンゴル人)、回(回族)、蔵(チベット人)だった。
姜 はい。
森巣 で、共存共栄を謳うのはいいとして、それがなんで、たったの五族だけなのか、と。それで、私が考えたのが、「族」という概念を殺したところで成立する「無族協和」。
姜 ああーー、それはすごい。
森巣 共存共栄を目指すのに、ケチケチするな、と。で、繰り返しますが、私としては、民族概念に対して、そんなものありゃせんわと徹底的に批判する立場をとっています。もちろん、前述したように、非対称的権力の構図の中で、民族というスティグマを付けられ、「進歩」の時間軸から取り残された者として、一方的に抑圧・収奪されている少数者が、正のベクトルで使用する限りにおいては、民族概念を積極的に認めたいとも思っている。
姜 ええ。
森巣 でも、私のように、あらゆる集団レベルのアイデンティティからの自由を目指す人間でも、姜さんのように民族アイデンティティの重みを背負って生きたきた人間でも、誰もが共存していけるような、世界の在り方というのは一考に価するのではないかと思うんです。
姜 非常に刺激的な提案ですね。
森巣 先ほどの一億総在日化や難民問題がさらに先鋭化していけば、例えば、「在日」のような人たちを外部化して、国民国家共同幻想を維持していくのは、限界です。この世界に、もはや外部なんて存在しない。それに、今や、右も左も、国民国家のフィクション性を認める時代です。
    −−姜尚中森巣博ナショナリズムの克服』集英社新書、2002年、214−215頁。

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昨夜は、池袋にて、通教生のみなさまの大忘年会に参加させていただきました。

みなさま遅くまでありがとうございました☆

ま、いろいろありますが、ここにひとつの「無族共和」の世界があるのだろうと思う次第です。

ということで、これに懲りずにまたどうぞよろしくお願いします。


⇒ 画像付版 「無族協和」を謳う忘年会: Essais d'herméneutique


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