加藤典洋さんの「ねじれ」「さかさま」の認識

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 日本が先の戦争に敗れて半世紀がたとうとしている。半世紀といえば、けっして短い期間ではない。まだ、「戦後五十年」などといっているのか、という声が聞こえそうでもあるが、このように、敗戦後何年、という呼び名がいまにいたるまで生きていることに、意味があるかといえば、わたしはこのことには、意味があると思う。
 これはよくいわれることだが、戦後という時間は敗戦国によってこそ濃密に生きられる。米国でいま、戦後といえばヴェトナム戦争以後であり、ヴェトナム戦争はかの国にとっての有史以来はじめての負けいくさだった。
 負けいくさが、それ以前とは違う時間を負けた国にもたらすのは、それをきっかけにその国が、いわばぎくしゃくした、ねじれた生き方を強いられるからである。
 ヴェトナム戦争の傷には、一つにはその戦争が「正義」を標榜したにもかかわらっず、「義」のない戦争であったことからきている。日本における先の戦争、第二次世界大戦も、「義」のない戦争、侵略戦争だった。そのため、国と国民のためにと死んだ兵士たちの「死」、−−「自由」のため、「アジア解放」のためとそのおり教えられた「義」を信じて戦場に向かった兵士の死−−は、無意味となる。そしてそのことによってわたし達のものとなる「ねじれ」は、いまもわたし達に残るのである。
 日本の戦後という時間が、いまなお持続しているもう一つの理由は、いうまでもなく、日本が他国にたいしておこなったさまざまな侵略的行為の責任を、とらず、そのことをめぐり謝罪を行っていないからである。
 電通博報堂的な感覚からいえば、まだ「戦後」か、ということになるが、胡椒をいくら目新しいものに変えても、この異質な時間が半世紀をへてなお、わたし達を包んでいることの責任の一半は、わたし達にある。
 わたしはここで、このうち、戦後という時間をいまなお生きながらえさせている前者、「ねじれ」の側面について考える。戦後とは何か。それはすべてのものがあべこべになった、「さかさまの世界」である。そして、それが誰の眼にも「さかさま」には見えなくなった頃から、わたし達はそれを、「戦後」と呼びはじめている。
    −−加藤典洋敗戦後論ちくま文庫、2005年、12−13頁。

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加藤典洋(1948−)さんの「ねじれ」「さかさま」の認識は、左右両者から批判をあびているけれども、この「ねじれ」「さかさま」の状況は今なお解消されていないし、極左も極右も進歩派も保守派も、この「ねじれ」「さかさま」の状況を精確には「認識」していないのだろうと思ってしまう。

ねじれを認識することと、ねじれを認識した上での評価は違うはずなのですけどね。
本朝では、どうしても精確な認識を欠如した「評価」が一人歩きする傾向が強く、うえの議論も最初に提示されてから10年以上が経過しましたが、再読するたび、変わらぬ茫漠たる状況に深く痛痒してしまいます。

だからアレント(Hannah Arendt,1906−1975)の議論も、(知的流行としてのそれは措きますが)おそらくきちんと受容はされていないのだろうなあ。






⇒ 画像付版 加藤典洋さんの「ねじれ」「さかさま」の認識: Essais d'herméneutique




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