「反射鏡 大逆事件100年と『検察の暴走』 論説委員 伊藤正志」、『毎日新聞』2011年2月13日(日)付

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反射鏡 大逆事件100年と「検察の暴走」 論説委員 伊藤正志
 明治天皇の暗殺を計画したとして、幸徳秋水社会主義者無政府主義者24人に死刑が言い渡され、12人の刑が執行されたのは1911年1月のことだ。
 日本近代史の暗部とも評される「大逆事件」から今年は100年後に当たる。
 社会主義者らをいや応なく弾圧した権力の陰謀であり、連座した多くの人がぬれぎぬだったという歴史の評価は、もはや揺るがないといっていいだろう。
 昨年来、全国各地で追悼集会が開かれ、先月24日に参議院会館で開かれた院内集会には約300人が集まった。
 なぜ、今、大逆事件なのか。「大逆事件の真実をあきらかにする会」事務局長の山泉進・明治大教授は、昨今における政治家、官僚、司法、メディアなどさまざまな問題の「原形」を大逆事件に見いだせると指摘する。
 「検察の暴走」をキーワードに、現代社会に通じる教訓をとってみたい。
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 1910年5月、長野県内で摘発された爆発物取締罰則違反事件が端緒だった。背景に天皇暗殺計画があるとして、捜査は警察から検察の手に移り、秋水や、パートナーだった菅野須賀子らが次々と逮捕された。
 社会主義者の弾圧に反発した菅野ら4、5人が暗殺計画を相談したのは事実とされる。
 秋水は計画に乗り気でなく相談からも外れていたという。にもかかわらず、秋水から以前に革命の話などを聞いただけの社会主義活動家らが明白な証拠もなく一網打尽に摘発されたというのが事件の経緯だ。
 旧刑法の大逆罪の法定刑は死刑だけ。摘発に海外でも抗議の声が上がったという。
 事件を指揮したのが、後の法相、平沼騏一郎だ。当時は司法省の局長だった。
 平沼は後に自身の回顧録で、被告のうち3人は陰謀に加わったのか確信がなかったと書いた。また、当時の桂太郎首相の私邸を毎朝訪れ、事件の報告をしていたと記し、政治の中枢が事件と密接に関わったことを示唆した。検事らには賞与が支給され、事件を機に、検察の権威は一気に高まっていく。
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 高圧的な検事の取り調べを示す被告らの証言が残る。菅野は、遺書ともいえる手記「死出の道草」でこう書いた。
 「世辞に不満でもある場合は、平気で口にするような一場の座談を嗅ぎ出して、すべて事件に結びつけてしまった」「功名・手柄を争って、1人でも多くの被告を出そうと詐欺、ペテン、脅迫、ウツツ責め同様の悪辣極まる手段をとって……」
 ウツツ責めとは、被告らを眠らせず夢うつつの状態で自白させる手口を指す。そして、「事件は無政府主義者の陰謀というよりも、寧ろ検事の手によって作られた陰謀という方が適当である」と結論づけるのだ。
 秋水も、当時の弁護士にあてた手紙で、検事の調書について「何を書いてあるか知れたものではありません」と批判した。釈明が反映されず「検事がこうであろうといった言葉が記されてあるのです」と嘆いた。
 調書の訂正も困難で「十数カ所の誤りがあっても指摘して訂正し得るもは1カ所に過ぎないです」と記した。
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 言うまでもなかろう。ストーリーありきの捜査と、強引な取り調べや調書の作成。大阪地検特捜部の郵便不正事件と全く同じ構図である。
 長年、大逆事件の資料収集に当たってきた「あきらかにする会」世話人の大岩川嫩(ふたば)さんは「秋水が関係していないわけはない。一係長の判断で障害者向け証明書を偽造できるはずがない。そう決めつけたら無理な調べも辞さない。検察は100年たっても変わらない」と話す。
 法に基づいて人を逮捕し、長期間身柄を拘束できる検察の権力はとてつもなく大きい。その行使が慎重かつ公正に行われるのは当然だ。だが、一定の歯止めがなければ、特定の意図と結びついて暴走することがあり得ることを、1世紀をまたぐ二つの事件が示した。
 ならばどんな歯止めが必要か。有識者の「検察の在り方検討会議」で、厚生労働省村木厚子元局長が「なぜ私がかかわった調書が作られたか」「私が首謀者とのストーリーが(検察内部で証拠捏造が発覚した後の)後半でも維持されたのはなぜか」と二つの疑問を呈した。
 そこから導かれる歯止めの一つは、取り調べの可視化だろう。被告にとって有利な証拠や状況を隠したら罰する。検察官倫理規定の制定も有効に思える。検討会議には、歴史を見据えたうえで結論を出してもらいたい。
    −−「反射鏡 大逆事件100年と『検察の暴走』 論説委員 伊藤正志」、『毎日新聞』2011年2月13日(日)付。

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オチがお約束的で物足りないのですが、大逆事件のことは決して忘れてはいけないし、細かい調査研究は進められて然るべきだと思いますので【覚え書】として残しておきます。






⇒ 画像付版 【覚え書】「反射鏡 大逆事件100年と『検察の暴走』 論説委員 伊藤正志」、『毎日新聞』2011年2月13日(日)付: Essais d'herméneutique