この不味さには熟練できないし、堪え忍ぶこともできません。






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 体験という言葉の空しさ。体験とは実験ではない。それは人為的にひき起こすこともできぬ。ひとはただ、それに服するのみだ。それは体験というより、むしろ忍耐だ。ぼくらは我慢する−−よいうよりむしろ堪え忍ぶのだ。
 あらゆる実践。ひとたび経験を積むと、ひとはもの識りにはならない。ひとは熟練するようになる。だが、一体なにに熟練するのだろう?
    −−カミュ(高畠正明訳)『太陽の讃歌 カミュの手帖1』新潮文庫、昭和四十九年、14頁。

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カミュAlbert Camus,1913−1960)のいう通り、「体験とは実験ではない」んですし、「人為的にひき起こすこともできぬ」ものなんです。まさに「服するのみ」であり「むしろ忍耐」なんです。

しかし、この不味さには熟練できないし、堪え忍ぶこともできません。

新しいものが発売されるとどうしても試してしまうわけですが、麒麟の新ジャンル『濃い味 糖質0(ゼロ)」……。

激しくorzな味わいでした。

この不味さには熟練できないし、堪え忍ぶこともできません。







⇒ ココログ版 この不味さには熟練できないし、堪え忍ぶこともできません。: Essais d'herméneutique