梅が見頃です。つまり外在性は内在性に準拠しているであって、事物それ自体の外在性ではないのだ






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 知覚のなかに、ひとつの世界が与えられる。音や色や言葉は、それがなんらかのかたちで覆っている対象を指示している。音はある対象の立てる物音であり、色は個体の表面に付着しており、言葉は意味を宿し対象に名を付ける。そして知覚は、その客観的意味をとおしてまた主観的意味をもつ。つまり外在性は内在性に準拠しているであって、事物それ自体の外在性ではないのだ。芸術の運動とは、知覚を離れ感覚を復権させること、知覚という対象への差し戻しの作用から質を引き離すことである。
    −−E.レヴィナス西谷修訳)『実存から実存者へ』講談社学術文庫、1996年、106頁。

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花を美しいと受容するのは人間だけなことは承知ですが、その美しさに誘われてでしょうか……。鶯も街にやってきたようですね。

近所のお寺の梅が見頃でしたので、少しカメラを持って出かけたのでひとつ。

レヴィナス老師(Emmanuel Lévinas,1906−1995)曰く「つまり外在性は内在性に準拠しているであって、事物それ自体の外在性ではないのだ」とのこと。

受容する人間がいるからこそ、事物それ自体が美しく輝くのかもしれませんネ。







⇒ ココログ版 梅が見頃です。つまり外在性は内在性に準拠しているであって、事物それ自体の外在性ではないのだ: Essais d'herméneutique




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