教育学が科学ではないとしても、それはまた、技術とも異なっている。







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 私は、教育学者として、この道徳教育の講義を始めようとしているのであるから、冒頭において、教育学とは何であるかを規定しておく必要があると考える。まずはじめに、教育学は科学ではない、ということをことわっておきたい。それは、教育の科学が成立不可能だという意味ではない。教育学が教育の科学とは異なるものだ、ということをいいたいからである。この区別は大事である。というのは、教育学の理論は、固有な意味での科学的研究に適用される方法的規準によって、評価すべきものではないからである。科学は何にもまして、可能な限りの慎重さによる研究を必要とし、かつ、特定の時間の枠によっては制約されないものである。しかし、教育学は、こうした忍耐強さをもちえない。教育学は瞬時もゆるがせにできない緊迫した生活の必要にこたえなければならないのである。ひとは不断に変化する環境にたいして、たえず適応しなければならず、しかも、この適応行為は一刻の猶予を許されないものである。したがって、教育学者がなしうる、また、なさねばならぬ一切のことは、科学がそのときどきにおいて提供する質料を洩れなく蒐集して、教育実践を指導することである。われわれは、これ以上のことを教育学者に期待することはできない。
 しかし、教育学が科学ではないとしても、それはまた、技術とも異なっている。元来、技術とは、習慣、慣行、組織された能力などから構成されているものである。すなわち、教育の技術は教育学ではなく、教育者の手腕であり、教師の実践的経験にほかならない。
    −−デュルケム(麻生誠・山村健訳)『道徳教育論』講談社学術文庫、2010年、44−45頁。

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読み始める、デュルケム『道徳教育論』。

火曜日に密林探検(amazon)ではなく、リアル世界の本屋にフラって寄ったおかげで、文庫化されたデュルケム(Émile Durkheim,1858−1917)の『道徳教育論』に遭遇w
※リアル本屋にいくと、目的対象以外の本も買って帰ってしまうので危険度が高いんです(涙

本朝では、デュルケムは「社会学者」として認知度が高いのですが、実は教育学での業績の方が多産であったことは専門家を除いて余り知られておりません。

まあ、そのひとつの愁眉となるのが『道徳教育論』なわけですが、文庫化されていてびっくりw

最終根拠を宗教的ドグマに依拠せず、「規律」と「自律」は教授可能かを問うた一冊ですが、もともとはデュルケムの講義録が原本。学生時代にフランス語で輪読した覚えはあったのですが、うれしい再会となりました!

さて……
最後の一切に痺れますネ

「教育学が科学ではないとしても、それはまた、技術とも異なっている。元来、技術とは、習慣、慣行、組織された能力などから構成されているものである。すなわち、教育の技術は教育学ではなく、教育者の手腕であり、教師の実践的経験にほかならない」。

僕は別に技術やハウツーを否定しようとは思いません。

しかし、「それでOK」っうのは違いはずなんですナ。

デュルケムが講義の初手において技術還元論を否定していることは踏まえておくべきでしょう。

ということで呑んで寝るw






⇒ ココログ版 教育学が科学ではないとしても、それはまた、技術とも異なっている。: Essais d'herméneutique







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