僕はどこまでエポケーしても、今回の東日本大震災を「天罰」だの云々といいたくはない
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かくかくのとらえ方とか、「この」世界についての意見といったものは、どれも、あらかじめ与えられている世界にその基盤をもっている。わたしが判断中止によってまぬがれようとしているのは、まさにこの基盤なのである。すなわちわたしは、世界を越えているのであり、世界は、いまやわたしにとっては、まったく特殊な意味で現象になっているのである。
−−フッサール(細谷恒夫・木田元訳)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中公文庫、1995年、275頁。
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たんなる雑感ですが、やっぱり僕はどこまでエポケーしても、今回の東日本大震災を「天罰」だの云々といいたくはない。
⇒ ココログ版 僕はどこまでエポケーしても、今回の東日本大震災を「天罰」だの云々といいたくはない: Essais d'herméneutique
ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)
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