民主主義制度の「おもうつぼ」に入らぬように・・・

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 民主主義の論理上の欠点は、政治の過程や結果よりも政治の起源に気をとられたことにあった。つねに民主政治論者は、政治権力が正しい方法でもたらされたのなら、その権力は有益なものである、と考えてきた。彼の全視線は権力の源泉に注がれてきた。というのも、一番の大事は人びとの意志を実現することにあるという信念に呪縛されているからである。まず、表現は人間の最大関心事であり、次に、意志は本能的に善だからというのだ。しかし、水源でどれほど調整しても川の流れを完全にコントロールすることはできない。民主政治論者たちは、社会的権力を生み出すために有効なメカニズム、つまり投票と代議制のすぐれたメカニズムを見出す努力に気をとられている間に、人間のそのほかの関心をほとんどすべてなおざりにしてしまっていた。
 いかにして権力が生じるにせよ、もっとも重大な関心はその権力がいかに用いられるかにある。文明の質を決定するものは権力の用い方である。それは権力の発生源でコントロールできるものではない。
 もし政治をすべてその発生源においてコントロールしようとすれば、重大決定のいっさいを人目に触れないものにしてしまうことを避けられない。よい生活を生み出すような政治的決定を自動的に下す本能などは実在しないのである。権力を実際に行使する人びとは国民の意思を表現できないばかりか(なぜならほとんどの問題について意志など存在しないから)、選挙民には知らされていない意見にしたがって権力を行使するのである。
 では、もし民主主義哲学から、政治は本能的なものであるの自己中心的意見によって操作できるという過程を枝葉にいたるまで根こそぎ引き抜いたら、人間の尊厳に捧げられる民主主義の信仰ははたしてどうなるのであろうか。それは人格のいやしい一面とではなくて、そのその全人格と結びつくことによって新たに息づくであろう。なぜなら伝統的な民主政治論者が人間の尊厳を危うくしたのは、たった一つのあやふやな仮定のためだったからである。人間は自らの尊厳を賢明な法律、よい政治のかたちで本能的に明示する、というのがその仮定であった。有権者たちはそれを示さなかった、だから実際的精神の持ち主からしてみれば、民主政治論者は少々愚かに見える状況にいつもおかれていたのである。
 しかし、人間の尊厳を自治に関するただ一つの仮定に托すばかりでなく、人間の尊厳は人間の可能性が適正に行使されるようなある生活水準を要求するのだ、という考え方を打ち出すなら問題は一変する。
 そのとき政治を評定する規準は、その政治が最低限の健康、適切な住居、必要物資、教育、自由、娯楽、美しさを生み出すかどうかということであって、このようなものすべてを犠牲にして、その政治がたまたま人びとの頭に浮かんできた自己中心的意見に反応して揺れ動くかどうかということだけではない。このような規準をどこまで正確かつ客観的なものにできるかによって、比較的少数の人びとの仕事にならざるをえない政治的決定が、人びとの利害・関心に実際につながるようになる。
 想像できるかぎりどんな時代になっても、目の届かない環境全体がすべての人間にとって明白になり、人びとが自発的に政治上の全問題について健全な世論をもつようになるとは思われない。もしそのような見込みがあったとしても、自分たちに影響のある「ありとあらゆる社会的行為」について意見を形成するために、願って苦労したり時間をとったりする者がどれだけいるか大いに疑問である。ただ一つ幻想ではない見込みといえば、われわれひとりひとりがそれぞれの領域で、目の届かない世界の現実に基づいて描かれた図面によって行動するけーすがますます多くなり、こうした図面を現実に近似させておけるような専門家をますます多く育てていくだろうということである。
    −−W.リップマン(掛川トミ子訳)『世論 下』岩波文庫、1987年、160−162頁。

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システム準拠でOKとすませてしまうことは、それこそ思うつぼ。

「想像できるかぎりどんな時代になっても、目の届かない環境全体がすべての人間にとって明白になり、人びとが自発的に政治上の全問題について健全な世論をもつようになるとは思われない」とのW.リップマン(Walter Lippmann, 1889−1974)の指摘は重すぎますネ。









⇒ ココログ版 【覚え書】民主主義制度の「おもうつぼ」に入らぬように・・・: Essais d'herméneutique



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