どんな天才にも限界がある?!
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どんな天才にも限界がある。石原においては、英邁な大帝によって輝かしく統治された明治を厳しく閉鎖的な軍人世界のただなかで生きたということが一つ。第二に、その信奉する日蓮主義がこれまた熱烈な忠君愛国精神と密着していたこと、そして、それは大乗仏教の特徴の一つとされる「転輪聖王思想」−−強く正しい軍隊を持つ聖天子の統治こそが最高である−−にがっちり支えられている。歴史的にいえば、この聖王のイメージは、前三世紀に実在した阿育王(アショーカ)の全インド統一に基づくもので、シャカ本来の思想とはなんのかかわりもない。シャカはもともと王族などではなく、それより階級的には一つ下とされる武家階級に属したインド東北部の小さな豪族で、しかも、その政治は専制的なものでなく、各部族の代表者たちによる合議制であった。当時のインドにおいて、このような体制をとっていて大きかったのはリッチャヴィで、ほかにはシャカ族その他いくつかの小部族があるだけであった。こうした“インド学”は石原が留学したころのドイツでも、ずいぶん進歩していたが、とうとう、それに触れることにならなかったのは、大乗こそが仏教で、ほかはとるに足らないとする日本仏教の古くからの伝統に誤られていたからである。
−−青江舜二郎『石原莞爾』中公文庫、1992年、428−429頁。
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こないだのETVが酷かったみたいなのですが、都合のよい部分は多いに宣揚して、都合の悪い部分はスルーする。
これが日本人の思考形式の顕著な部分であり、一番問題がある部分なのではないでしょうか……。
ねぇ。
ホント、かんべんしてくれ(涙
⇒ ココログ版 どんな天才にも限界がある?!: Essais d'herméneutique