芸術とは無用な美的なものであり、ほとんど犯罪に類するような反時代性を持った個人主義的無為徒食であると看做したくはありませんしネ





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 私はきびしい社会的行動主義を信奉している者ではありません。そういう主義に同調して、芸術とは無用な美的なものであり、ほとんど犯罪に類するような反時代性を持った個人主義的無為徒食であると看做したくはありません。シラーが「純粋な遊戯」を人間の最高の状態と賛美することができたような時代、つまり美的理想主義の時代が、まさに時代としてすでに過去のものであることは誰しも十分に心得ていますが、だからといって理想主義と軽薄とを同一視する行動主義をに同調しなければならないとは限りません。形式というものは、たとえそれがいかに遊びのように見えようとも、精神、すなわち人間をやはり社会的によりよきものへ導いてゆく案内者である精神と親近関係をがあり、芸術とは理想主義と社会主義との対立が解消される領域なのであります。
しかしながら、共同体生活管理にあっては、このような形での芸術の正当化が実際上無効になるような時が、瞬間あります。それは芸術家が内発的にこれ以上歩みつづけることができなくなる時期であります。なぜなら、もっと直接的な生活の困苦について考えることが芸術について考えることを押し退け、さらに一般大衆の危機的な苦境が芸術家をも震撼させて、遊びの情熱をもって永遠に人間的なるものに沈潜すること、つまり芸術と呼ばれているこの営為が、現実的には贅沢で懶惰であるという時代の刻印を押され、心的に不可能なことになってしまうからであります。
    −−トーマス・マン青木順三訳)「理性に訴える」、『講演集 ドイツとドイツ人 他五篇』岩波文庫、1990年、108ー109頁。

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第三帝国崩壊直後に行われたトーマス・マン(Paul Thomas Mann,1875−1955)の講演「ドイツとドイツ人」の引用出典を確認するついでに、その講演録に収録された「理性に訴える」を同じく読み直していた次第ですが、すこし驚き。

初見の記憶ではナチス政権成立後(1933年)の講演かと思いきや、3年前の1930年10月17日のそれでした(汗

1930年9月の選挙で大躍進した直後になるのですが、さすがマンの眼力さえていますねぇ。

ナチス・ドイツが成功した理由のひとつは、排他的民族主義の煽動がそのひとつですが、それ以上に効果があったものが、PTA的「正しいこと」を「連呼」したこと。

要するに「役に立たないような」芸術なんて糞食らえ!

……ってわけです。

7月から全面施行されたわけですが、規制対象となる表現内容に関しては僕は、虫酸が走るほど嫌悪の対象です。

しかし、それを法で整備することは、内面の自由を守る立場から納得もいかないところ。

……などと日々七転八倒しているところに、今度は7月に参院通過したPC監視法による初の検挙のニュース。

今回の事案は、本人が意図的に「ウイルス」を流出させての検挙のようですが……、いずれにしても、社会全体が「総規制化」していくようで……。

これからは暫く、暗い夜道をあるくような時代が続いていくのでしょうか……ねぇ。


http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011072190113057.html





⇒ ココログ版 芸術とは無用な美的なものであり、ほとんど犯罪に類するような反時代性を持った個人主義的無為徒食であると看做したくはありませんしネ: Essais d'herméneutique


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