自省の一能の存否は、これ正に精神の健全なると否とを徴すべき証拠である?
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自省の能とは、己が今ま何を為しつつある、何を言ひつつある、何を考へつつあるかを自省するの能を言ふのである。
自省の一能の存否は、これ正に精神の健全なると否とを徴すべき証拠である。即ち日常の事に徴しても、酒人が杯を挙げながら「大変に酔ふた」または「大酔ひである」などと明言する間は、さほどに酔ては居ない、少なくとも自省の能がいまだ萎滅しないのを証するもので、決して乱暴狼藉には至らぬのである。また精神病者が自身に「己れは少し変だな」などと言ふ中は、やはり酔漢と同じで、いまだ自省の能を喪失しない、乃ち全然狂病者とはなつて居ない徴候である。
−−中江兆民(井田進也校注)「続一年有半」、『一年有半・続一年有半』岩波文庫。1995年、170−171頁。
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台風一過。
東京ではここ数日涼しいというか肌寒い日が続いた所為で、どうも風邪をこじらせてしまい、発熱で苦しんでいるところなのですが、「風邪を引いた」という自覚があるだけ、まだましなのかもしれません。
エキセントリックなジャパニーズビジネスマンでしたら、風邪を引いているにもかかわらず「風邪を引いた」という自覚すらなく、馬車馬のごとく猪突猛進しなければならないのですが、コチトラ、そういう存在ではありませんので、「自覚」をもちつつ(仕事はしなければならないので)仕事を継続する次第ですが・・・
夏風邪というものは実にやっかいですね。
皆様もご用心くださいませ。
ただ、「風邪になろうが、槍が降ろう」が寝る前の「一杯」を欠かすことはできまんので、これが回復を阻んでいることは……
内緒です。
⇒ ココログ版 自省の一能の存否は、これ正に精神の健全なると否とを徴すべき証拠である?: Essais d'herméneutique