覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『困ってるひと』=大野更紗・著」、『毎日新聞』2011年8月21日(日)付





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今週の本棚:沼野充義・評 『困ってるひと』=大野更紗・著
 (ポプラ社・1470円)

 ◇「難病女子」の闘いに前向きパワーをもらう
 絶妙のタイトルに惹(ひ)かれた。「困ってるひと」って、誰のことだろう?
 著者はまだ二十代半ばの若い女性。「闘病記」ではないとご本人が断っているけれども、一種の闘病記であることは間違いない。しかし、それにしてはとてもユニークな書きっぷりだ。地獄のような苦しみの中、いつぽきりと折れるかわからない状態なのに、いつもユーモアを忘れず、自分の状況や自分を取り巻く医師や看護師、他の患者や友人などの姿を的確に、感謝の念を込めて、しかし言うべきことはきちんと言いながら描いている。
 「更紗ちゃん」は上智大学の大学院に学びながら、ビルマの難民支援の運動に打ち込んでいた。その活動の熱心さには、本当に頭が下がる。しかし、彼女は正体のよくわからない病に冒され、全身がぱんぱんに腫れ上がり、関節ががちがちに固まり、高熱を発したまま下がらなくなる。これでは難民支援活動どころか、カバンを持つことも、一人で歩くこともできない。つまり、皮肉なことに、「困ってるひと」を助けようと頑張っていた人が、自ら他人の助けを必要とする「困ってるひと」になってしまったのだ。
 最初は都心の某有名大学病院や、両親の住む福島の実家近くの大病院などにかかってもお手上げで、病名すらわからない。最後にようやく、東京の優れた専門医にめぐり合い、「宇宙級に飛び抜けた」プロフェッサーや、その下で働くお説教パパ先生、そして主治医の優しいクマ先生などの親身な治療を受けながらの療養生活が始まった。病名は「皮膚筋炎」と「筋膜炎脂肪織炎症候群」の併発というもの。自己免疫系の珍しい難病だという。
 想像を絶するほど痛い検査の数々、薬のおそろしい副作用、死にたいと思いつめるほどの気持ちの落ち込み。そうこうしているうちに、ある日、腫れ上がったお尻が突然破裂して血と膿(うみ)が混ざったどろどろの液体がゆうに一リットルも流出し、巨大な空洞を残すという衝撃的な事態になる。しかし、著者はそれさえも「おしり大虐事件」と呼び、「難病女子」は「おしり女子」となり、人類から有袋類へと超絶的な変身をとげたのだ、と言ってのける。そして、こんな毎日の中でも、ある出会いから恋愛が芽生え、それが「生きたい(かも)」と思う気力の源になる。
 最後に、長い闘病生活を通じて見えてきたのは、障害者や難病患者を支援するはずの社会福祉制度があまりに複雑で必ずしも効果的に機能していないという現実である。かくして、難病女子の闘いは、社会の中での自分の居場所を確保するためのミッション・インポッシブル(不可能な大作戦)となっていくのだ。
 こんなに苦しい病気の話を、こんなに面白く書いてしまっていいのだろうか、と私は何度も自問し、時にふき出しながらこの本を読んだ。肝心なのは、自分の姿も客観的に見つめながら、「絶望は、しない」と言い切る著者の姿勢だ。これだけの前向きのパワーが一体どこから出てくるのだろうか。多くの読者が、力をもらうに違いない。しかし、それは単なる同情からではないだろう。じつはまわりを見渡せば、世の中、「困ってるひと」ばかりではないか。津波に襲われた人、原発事故に故郷を追われた人、大学を出ても就職口が見つからない若者たち。かく言う私も(詳しいことは言いませんが)、いろいろ困ったことを抱えている。この本は病気にかかっているかどうかにかかわらず「困ってる」皆のための本、つまりあなたと私のための本なのだ。
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『困ってるひと』=大野更紗・著」、『毎日新聞』2011年8月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20110821ddm015070010000c.html








⇒ ココログ版 覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『困ってるひと』=大野更紗・著」、『毎日新聞』2011年8月21日(日)付: Essais d'herméneutique



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