日本人の精神ならびに性格を甚だしく醜くするところの傷所
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日本人の精神ならびに性格を甚だしく醜くするところの傷所は−−遺憾ながら私はこの場合私の学生を全く除外するわけには行かない−−虚栄心と、自己認識の欠乏と、および批評的能力の更にそれ以上に欠如せることである。これらの悪性の精神的ならびに道義的欠点は、西洋の学術や芸術の杯から少しばかり啜ったような日本人においてとくに目立ってまた滑稽な風に現れる、従って主としては『学者』と言われ、『指導者』と呼ばれる人たちにおいて認められるのである。
−−久保勉訳『ケーベル博士随筆集』岩波文庫、1957年、87頁。
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明治日本で哲学教師として多大な影響を与えた人物の一人がラファエル・フォン・ケーベル(Raphael von Koeber, 1848−1923)。
21年間、東京帝国大学で教鞭をとり、学生たちからは「ケーベル先生」と敬愛され、大正教養主義を準備したと言っても過言ではありません。
さて、
「日本人の精神ならびに性格を甚だしく醜くするところの傷所」というケーベルの3つ指摘、すなわち「虚栄心」、「自己認識の欠乏」、「批評的能力の欠如」という部分は、今なお拭いがたいほど、日本人の行動様式を規定しているかもしれません。
そしてそれがどの階層に著しく出てくるのかと言えば「学者」と言われ、「指導者」と呼ばれる人たちにおいて「認められる」ということ。
このケーベルの警鐘は心のどこかに意識的には留め置かないとマズイですね。
ちなみに余談ですが、ケーベルの直弟子で助手を務めたのがギリシア哲学研究者の久保勉(1883−1972)氏。氏によって『ソクラテスの弁明』をはじめとするプラトン(Plato,424/423 BC−348/347 BC)の手によるソクラテス(Socrates,469 BC−399 BC)の肉声が邦訳されたことも意義深いものがありますね。
⇒ ココログ版 日本人の精神ならびに性格を甚だしく醜くするところの傷所: Essais d'herméneutique