新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。




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 むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、確信を主張する。
 相場はこんなところだ、相場は!

 かれらのいう復古は、かれらの記憶にある若干年前にもどることで、虞・夏・商・周の古代ではない。
    −−魯迅「小雑感」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年、100−101頁。

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どうやら引き裂かれた現場を降りることなく佇み、状況を怜悧に観察した人間の箴言ほど寸鉄心を打つものはなく、そして人間に対する慈愛において追随を許さないものはないのだと思うことがよくあります。

魯迅(Lu Xun,1881−1936)の言葉のひとつひとつがそれであり、右から左へ大きく揺れ動いた訳者の竹内好(1910−1977)が魯迅に仮託していったものがそれなかも知れません。

宿痾のようにこびりついた儒教イデオロギーを撃つと同時に、革新ラッパの虚偽を撃ち、常に生きた人間の「味方」であったのが魯迅の生涯……。そして、あれか・これかと単純に判断できない稜線から紡ぎ出された言葉の迫力には身震いするほどです。

復古の立場をとるにせよ、現状維持を主張するにせよ、革新を唱えるにせよ、「主義の宣伝者」には必ず「思惑」が潜在してしまう。

そのカラクリを丁寧に見出していかない限り、提示されるものがどのような甘露であるにせよ、それは一種のマヤカシでしょう。

例えば、守旧的復古主義者を見ればよくわかる。「かれらのいう復古は、かれらの記憶にある若干年前にもどることで、虞・夏・商・周の古代ではない」。

事例として排外主義を唱えてみたものの、鎧甲に太刀をひっさげ、背中に一陣の幟旗で戦うわけではありませんしね。

排外先で誂えられた輸入衣類で身を鎧い、外来テクノロジー武装するのがせいぜいのところ。加えるならば、鎧甲であったとしても千年前のそれではなく……。

数えると切りがありません。
大概の場合、理想とされるのは、国民国家によって「神話化」された近い過去……。いわば「ある若干年前にもどる」程度が関の山。

そして同じように、現状維持と革新が武装する・・・。

そうした拡声器に脊髄反射してはならないと思う。
琴線が触れるのは脊髄反射ではない。
相手への反応は、自分自身の心のそこからの反応でなければ、それは本当の炎にはならない。

このことを失念してしまうと、共鳴無き、殺し合いのゲームだけが永遠に続くことになってしまうのだろうと思う。

安易に燃料を失う必要はない。

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 新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。弾奏者だとすれば、相手の心に琴線があってこそ、演奏効果があらわれるのだ。発声器だとすれば、相手も発声器であってこそ、はじめて共鳴がおこるのだ。
    −−魯迅「随感録抄」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年、68頁。

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⇒ ココログ版 新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。: Essais d'herméneutique


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