覚え書:「記者の目:東日本大震災後の論壇=鈴木英生(東京学芸部)」、『毎日新聞』2011年9月28日(木)付。




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記者の目:東日本大震災後の論壇=鈴木英生(東京学芸部)

 ◇重みと覚悟のある主張を
 東日本大震災から半年間、多くの識者が「国難」、「戦後最大の危機」などと語ってきた。私は、政治・経済、社会問題など各分野の学者や評論家の主張を記事にする論壇担当記者だが、今回ほど浮足立った論壇バブルは見たことがない。今の論壇に必要なのは、震災を忘れず、かつ遠く未来をも見据える誠実さだと強く思う。

 かく言う私も、震災で大いに動揺した。仙台市出身。宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の遠縁を2人津波で失い、弟の妻は岩手県大槌町で生死の境をさまよった。自衛隊員のいとこは、福島第1原発に放水をした。別の福島市のいとこは、放射能が子供に与える影響を恐れ、仙台市の実家へ越した。

 私は東京在住、しかも震災当日は米国出張中で揺れすら体験していない。親族と同じ運命を共有しなかったことが負い目になり、しばらくは身動きもできなかった。今も、少し気が緩むと涙がこぼれる。

 ところが、この間の論壇での議論は、いくつかの例外を除いて、あまりにも違和感を覚えるものだった。5月初め、東京・一橋大での公開座談会(東京、中部本社、北海道支社発行5月19日朝刊に抄録。イースト・プレスより「『東北』再生」として刊行)で、小熊英二・慶応大教授(歴史社会学)が、私の印象に近い、こんな趣旨の発言をした。

 ◇「危機」を枕詞に従来の主張展開
 「東日本大震災を『日本の危機』『第2の敗戦』などという論者に限って、『危機』を枕詞(まくらことば)に従来の主張を繰り返す。震災をネタに、自分の依拠する利害構造を増幅して主張しているだけに見える」

 論壇には、大震災で急に「目覚めた」人々もいる。たとえば、突如「脱/反原発」派になった論者たち。人によっては、何も知らされていなかった被害者のように原発を糾弾する。しかし、何十年も前から原発の危険性は指摘されてきた。長く論壇で活躍する識者が、そうした主張を知らなかったとは考えにくい。

 従来の主張を繰り返すか、今更目覚めるか−−。もちろん極端な分類ではあるが、どちらもあまりに軽く感じる。私は、そうではない震災論を探したかった。連載企画「戦後史のなかの三一一 9・11」(9月7〜15日夕刊)もそのひとつ。あえて60代以上の識者だけに取材した。今の論壇の軽さから離れて震災を考えるには、「戦後」を実体験で知る人に意見を聞くべきではないか、と思ったからだ。

 取材した識者に共通するのは、言葉の重みだった。評論家の渡辺京二さんは、被災と原発事故におびえる言論を批判し、自身の引き揚げ体験や歴史上の災害を引き合いに「人間は死ぬからこそ面白い」と言い切った。どぎつい言葉かもしれないが、本質を突いているように感じた。

 ◇能動的な想像力働かせる大切さ
 渡辺さんの発言に、震災についての対談(東京本社、北海道支社発行6月1日朝刊)に登場してもらった仙台在住のSF作家、瀬名秀明さんの言葉を連想した。瀬名さんは作家、学者、映画監督らの論集「3・11の未来 日本・SF・創造力」(作品社)の中で、SF作家、小松左京さんの大作「日本沈没」を例に、「いまここに生きる人間を考えつつ、そのうえで二億年後の世界にも思いを馳(は)せる」ようなエンパシー(能動的な想像力の働かせ方)の大切さを説いている。エンパシーに基づく言葉は、人間の限界をも見通してしまう。だから、目の前の出来事に動揺する人には、冷たく、無責任に聞こえることもあるだろう。

 だが、渡辺さんや作家・詩人の辻井喬さん、経済学者の伊東光晴さんら「戦後史のなかの〜」で語ってもらった識者は、長年、瀬名さんの言う「いま災難に見舞われている人に(略)助けたいと強く願いながら、エンパシーの能力でもって、ときに無責任さを背負いながら、次の『千年に一度の災害』に備え」(「3・11の未来」)るという考えと同様の発言をしてきた。

 目の前のミクロな現実に十分共鳴し、しかし流されることなく、現状を相対的に見て将来を構想するスケールの大きな主張。だから、災害を持論強化のネタにするだけの論者、災害に動揺して今更目覚めた論者とは重みが違う。

 もちろん、この連載で取材した各論者が、結果として正しいことだけを発言してきたわけではないだろう。私は、紙面に載せた彼らの主張のすべてに、必ずしも納得しているわけではない。それでも、こう思う。彼らと同じような覚悟をもって、震災を受け止めることができた若い論壇人にもっと会ってみたい、と。主張の是非以前に、そういう覚悟の感じられる声をこそ、紙面で紹介していこうと思う。
    −−「記者の目:東日本大震災後の論壇=鈴木英生(東京学芸部)」、『毎日新聞』2011年9月28日(木)付。

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