夢想する必要もなければ、落胆する必要もない。警戒しなければならないのはむしろ一喜一憂だろう。





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赤川次郎 三毛猫ホームズと芸術三昧!
前進する元気 与えたい

 タイトルを変えながら4年半続けたこのコラムは今回が最終回。
 連載中、歴史に残る大きな出来事が三つもあった。自民党から民主党への政権交代東日本大震災福島第一原発の事故である。
 「景気が良くても悪くても、選挙になれば自民党が勝つ」のが長い間の常識だった。「おとなしい日本人」が、さすがに「もう限界!」と悲鳴を上げた政権交代だったが、今や息も絶え絶え。もともと右から左までの寄り合い所帯の民主党に劇的な改革は期待できなかったにせよ、一応「反自民」を旗印に政権についた以上、「これで少しは良くなる」と思った人が多かったろう。
 しかし、長い自民党政権下にできた、政権と大企業、政治家と地元企業、官僚の既得権などの強固な構図を変えるのは容易なことではない。天下り一つ取っても、官僚が死にもの狂いで抵抗してくるのは当然だ。
 私は民主党政権が5年くらいかけて、1年に一つか二つ、改革を進めていけば上出来と思っていた。むろん、民主党を支持した人は誰しも自分のかかわる分野が改革されることを望んだろう。しかし「明日から世の中すべてが変わる」という期待は危険である。ソ連民主化しても、生活は上向かず、結局ロシアのプーチン政権下、アンナ・ポリトコフスカヤを始め、政府に批判的なジャーナリスト200人もが殺されている。アメリカのオバマ政権にしても、期待から失望への変化が早過ぎる。むろん批判は必要だが、民主主義には時間がかかる、ということを、先例から学ばなければならない。
 日本では民主党政権が発足もしないうちから、マスコミは「政治とカネ」を書き立てては世論調査で「支持率低下」と報道した。しかし、「政治とカネ」というなら、麻生政権が総選挙で敗北した後、引き出した官房機密費2億5千万円(税金である)の方をずっと問題にすべきだが、マスコミは一向に追及しない。
 マスコミの、自民党への甘さは原発事故以後、際立っている。原発を推進してきた責任を、歴代の首相に問うぐらいのことがなぜできないのか。そもそも、政権交代を招くまでに日本の社会を疲弊させた、小泉純一郎元首相の政治の検証さえしていない。今、自民党谷垣禎一総裁や石原伸晃幹事長の態度を見ていると、マスコミから追及されることなどないと承知しているとしか思えない。
 しかし、どんなに政治やジャーナリズムに失望しても、石原慎太郎都知事や、橋下徹大阪府知事のような独裁者タイプの政治家に期待するのは最も避けるべき選択である。一日で被災地を復興し、原発放射能を取り除く魔法は存在しないのだ。今は一歩ずつ前に進むしかない。その元気を少しでも与えるのが作家としての私の役目だと思う。
 最後に一つ、TV、新聞の方へ。次の世論調査には一項目付け加えてほしい。「あなたは私たちの報道を信じていますか?」
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 次回からは狂言を中心に幅広く活動する野村萬斎さんによる「野村萬斎 きょう.げん.き!!」の連載が始まります。
    −−「赤川次郎 三毛猫ホームズと芸術三昧! 前進する元気 与えたい」『朝日新聞』2011年10月1日(土)付夕刊。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201109290450.html?id1=3&id2=cabbbaad

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震災にも原発にも政治の問題にもそして、メディアの問題に関してもすでに反響を呼びまくっている赤川次郎氏(1948−)のコラムの最終回。

注目したいのは、末尾の一節。

「しかし、どんなに政治やジャーナリズムに失望しても、石原慎太郎都知事や、橋下徹大阪府知事のような独裁者タイプの政治家に期待するのは最も避けるべき選択である。一日で被災地を復興し、原発放射能を取り除く魔法は存在しないのだ。今は一歩ずつ前に進むしかない。その元気を少しでも与えるのが作家としての私の役目だと思う」。

元気を少しでも与えるのは、本来、それを政治や権力として売り物にする“○まる屋”の責任だけど、この連中は糞の役にも立たない……。

だけどそこに忖度する必要も、希望する必要も、そして見放してしまう必要もないけど、かわりに必要なのは、それがその機能するようにたゆまず関わっていくことと、そして「作家」だけでなく、生きている人間の問題として自分自身からそれを出来る範囲で考え、実践していくしかないんだよな……と思った次第。

自分自身の一歩が自分に元気を与え、そして関わるひとへ元気を与えていく……この絶え間ない挑戦と勇気に変革への鍵は存在する。

夢想する必要もなければ、落胆する必要もない。
警戒しなければならないのは一喜一憂だろう。









⇒ ココログ版 夢想する必要もなければ、落胆する必要もない。 警戒しなければならないのはむしろ一喜一憂だろう。: Essais d'herméneutique


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