覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『カール・ポランニー』=若森みどり・著」、『毎日新聞』2011年12月4日(日)付。

        • -

今週の本棚:伊東光晴・評 『カール・ポランニー』=若森みどり・著
NTT出版・4200円

 ◇経済に「本来の姿」を求めた学者を知る
 アメリカ経済学会の創設者セリグスンに『無視された経済学者たち』という著書があるが、経済学あるいは社会科学の正流から長く無視された「偉大な」社会科学者はカール・ポランニーであろう。事実、戦後日本での最初の『経済学事典』(平凡社、一九五四年)は、一七五〇ページの大部のもので、極めて多数の経済学者を網羅しているが、ポランニーの名はない。私にこの人の存在を教えてくれたのは、宇沢弘文さんであった。
 やがて、その主著『大転換』(一九四四年)が訳され(一九七五年)訳者によるすぐれた「あとがき」によって、その業績がわかった。
 本書は社会科学者ポランニーの生涯、思想、業績をひとつひとつ原典にあたり、資料を海外に求め、未発表論文に目を通し、かれの全体像を明らかにしたわが国で最初の本である。著者の全力投球の本といってよい。私も学ぶところが多かった。
 オーストリア・ハンガリー帝国華やかなりし十九世紀末のウィーンにポランニーは生まれ、ブダペスト大学で学んでいる。経済学者でいえば、シュンペーターケインズより三年のちに生まれているのであるから同世代とみてよいだろう。
 この時代オーストリア・ハンガリー帝国の社会は保守的で停滞し、それに対抗する知識人の動きの中に、かれも入っている。この本でマンハイムルカーチとの交流があることがわかる。
 第一次世界大戦に陸軍将校として従軍したことが、心身ともに傷を与えたが、二〇年代後半のかれの思想の形成を、著者はギルド社会主義の思想、オーストリア学派の経済学、オーストリアマルクス主義者、マルクス疎外論、物象化論の四つに求めている。
 市場競争力の圧力のもとに動く社会を一貫して批判し、それが形成されていく過程と崩壊を記した『大転換』の著者ならば、初期マルクスに注目したのは当然だろう。注目しなければならないのは、ギルド社会主義である。ギルド社会主義の影響をうけたイギリス労働党の論客G・D・H・コールが、異端の労働党員であったように、ポランニーは、それが持つ自主管理思想を受けつぎ、自由な社会を求めている。
 オーストリアマルクス主義者とオーストリア学派第三世代(ではないかと私は思う)の影響は、一九二四年からはじまるかれの『オーストリアエコノミスト』の副編集長としての現状分析に生かされていくのではないかと思うのであるが、これは著者の文献的実証をえられそうにない。このジャーナリストとしての活躍が、三〇年代の市場経済の危機に対する二つの政治集団の対立−−ファシズム共産主義−−に対し、自由を尊重する第三の道を求めさせながら、かれに三〇年代の歴史的意味を考えさせている。
 かれによると二〇年代までは、自立的な市場経済と人間的自由が対立していた時代であった。ところが三〇年代に入ると、経済危機にさいし、アメリカのニューディールや、ヨーロッパのナチズム、ファシズムのように、経済領域と政治領域が融合し、対立しだした。これに対してポランニー自身は、マルクス主義キリスト教左派との批判的融合を試みているという。このキリスト教との関係が私には解らないところであるが、日本でも矢内原忠雄や、大塚久雄がそうであったように、マルクスの考えにキリスト教が介在し、機械的唯物論批判と人間の自由の問題が浮び上ってくるのであろうか。ポランニーにあっては、経済決定論−−一方で市場メカニズムの強制の受容と効率主義、他方で機械的唯物史観−−の否定であろう。
 三〇年代後半のナチスの台頭によって、ポランニーはイギリスに亡命し、さらに、ニューヨークのコロンビア大学に移る。この大学はニューディールを支えたブレイントラストを出し、制度学派の流れが強い。著者が制度への関心が強まるのは当然である。
 戦後のポランニーはガルブレイスの『ゆたかな社会』に注目し、いくつもの注目すべき小論が残されているという。『ゆたかな社会』が明らかにした現代社会の病をアリストテレスと重ね、よき社会、よき生活のための手段であったはずの経済を、本来の姿にしようと考えている。また、「産業的に発展した国が経済効率を新興諸国と競う現状」に疑問を投げかけているという。
 ポランニーは現代的感覚を持ったすぐれた思想家である。一九五三年、国連で原子力の平和利用が論議されたとき、その産業的利用の危険性を指摘していたという。「私たちは欺かれている」と。他方、二九年恐慌や三〇年代の不況についての経済的分析は、極めて弱い。
 最後に社会主義者ポランニーの到達点として著者の文章の中から「人間は、完全な自由や完全な共同体を現実の社会で実現することができない。こうした謙虚な認識こそ、社会主義(者)が必要とするものであり、(それが)社会制度の不断の改良の原動力となるものである」という一節をあげておこう。
    −−「今週の本棚:伊東光晴・評 『カール・ポランニー』=若森みどり・著」、『毎日新聞』2011年12月4日(日)付。

        • -

http://mainichi.jp/enta/book/news/20111204ddm015070021000c.html


Resize0195


Resize0196