「この男の気が狂っているんだよ。そして、こいつの狂気は、我々の狂気なんだよ」
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戦争の本質は人を殺すことである。戦争で勝つために最も重要なことは、人を殺すことをためらわないことである。カーツ大佐の一見特異な性格は、この本質をつきつめて行動するところからきている。
映画を見終わってから、カーツ大佐はビンラディンにそっくりだなと思った。そのあとたまたま筑紫哲也さんに会ったのでその話をしたら、いやー、ぼくもそう思ったよといっていた。
カーツに似ているのは、ビンラディンだけではない。ビンラディンを狩り立てるために、アフガニスタンに攻めこみ、原爆なみの広域破壊高性能爆弾「デイジー・カッター」をアフガニスタン全土に落としまくり、人を殺しまくっているアメリカ軍の行動様式は、カーツの行動様式とそっくりである。そういえば、湾岸戦争のアメリカ軍もそうだった。無慈悲かつ徹底的な武力の行使でことの決着をつけようとするのだ。アメリカがベトナム戦争の敗北から学んだことは、もっとカーツ的にふるまえということだったのではないか。
ピーター・カーウィーの前傾書に、コッポラとマーロン・ブランドが、カーツの役作りのために話し合った記録が残っていて、コッポラはこんなことをいっている。
「この男の気が狂っているんだよ。そして、こいつの狂気は、我々の狂気なんだよ」
−−立花隆『解読「地獄の黙示録」』文春文庫、2004年、186−187頁。
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戦争をしたら問題が一挙に片付くんだという話しをよくきくけど、結構、そういう声高な言説を吐くひとっていうのは、いわゆる「徴兵年齢」を既に脱した御仁が多いことに驚くことがよくある。
戦争への反対は臆病ではない。
剣士以上の勇気がなければ、これを口にすることはできない。
僕はどのような主張があってもかまわないと思う。
しかし、自分は遠くの安全地帯に陣を構えて、「いけ」とか「やれよ」ってやる感性だけは理解できない。
「この男の気が狂っているんだよ。そして、こいつの狂気は、我々の狂気なんだよ」
……他人事としてではなく、これを自分自身の問題として考えていかないと、戦争だけでなく、様々な問題に関して、僕たちは、臆病を理由にして雪崩をうってしまうんだろうと思う。