吉野作造大先生の誕生日:路行かざれば到らず 事為さざれば成らず


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 私は東北の片田舎の一商賈のせがれである。少年時代の家業は綿屋だが、如何いふ縁故か、父親は新聞雑誌の取次をもやつてゐた。私の記憶は明治十五六年即ち私の五ツ六ツの頃まで遡り得る。此頃新聞雑誌の取次は未だ一個独立の商売とはなり得なかつたらしい。読者は極めて少ないからである。夕方馬車が着く。仙台市の前日の新聞が届けられる。それを番頭が配達するのによく私がついて歩いたものだ。行く先きざきで煎餅位いを貰へるからである。戸数千以上の宿駅だが、配達する紙数は十枚以下であつたやうだ。無論東京の新聞などはない。否、之は直接郵便で取つたのであらう。東京の出版物では自由民権といつた風の小冊子は取次いだやうだ。売れ残りの斯うしたものが私の大学生時代まで沢山土蔵の中にあつたのを覚えて居る。
 新聞だの雑誌だの又書物などに私が興味を有つたのは、或は斯んな因縁からでもあらうか。
    −−吉野作造「投書家としての思ひ出」、『文藝春秋』1926年6月。

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1878年(明治11)の今日。

そう、吉野作造大先生(1878−1933)の誕生日です。

わたしが博士論文で格闘している先達です。

社会科の教科書では、「大正デモクラシー」だとか「民本主義」というタームで、用語としては人口に膾炙された歴史的人物ですが、それは氷山の一角にしかすぎません。

わたし自身も博士課程に入ってから吉野研究をするようになったのですが、同じような認識でした。

しかし、きっかけとしては指導教官・鈴木先生から

吉野作造でもやってみるか」

……といわれて、著作をひもといたりするうちに、いわゆる「憲政史」「民主主義基礎論」などに収まりきらない、その巨大な足跡に驚いた次第(汗

もちろん、本業としてはそれなのでしょうが、昨日の日記にも書いたとおり、明治文化研究にも偉大な業績を残しておりますし、クリスチャンですがその枠組みにとらわれない寛容の探究、そしてその実践としての社会事業、留学生支援……数え上げるとキリがありません。

本人の著作や様々な資料を読むうちに、吉野作造の魅力に取り込まれていった一人がわたしなのですが、それだけでなく、自分自身もかくあらねばと襟をただせて頂いたことには感謝です。

ようやく今年、それが形になりそうなところです。

というわけで、いずれにしても……。

今日は吉野作造大先生の誕生日。

めでたい。

三重県の誇る純米酒「瀧自慢」にて乾杯です。

あ、写真背景の色紙は、吉野先生の色紙のレプリカですが、

「路行かざれば到らず 事為さざれば成らず」

いい言葉です。