特効薬という病
現実に特効薬はない。
現状がこのようにまずいから、これやっちゃえば大丈夫だ!という連呼が最近すさまじい。そういう単純にこれをやればという「特効薬なーう」のような言葉を聞くと、おいおいと思ってしまいます。
確かに場合によっては可能なこともあるでしょうが、対象が大きくなればなるほど、ひとつの特効薬で解決することなんてできないんじゃないでしょうか。
様々なアプローチ、複数の投薬によって、ゆっくりと問題に対処していくとうのが長い目で見ればもっとも正攻法なはず。しかし、こうした一つ一つ積み重ねでスライドさせていくのは徒労に見えてしまうのでしょうか。
歴史を振り返れば、「すぐに解決!」という急進主義的アプローチが成功したことがないのも事実です。もう、これは多分「特効薬」病なんだろうなとこのところ実感する。
そういう喧噪に飲み込まれ「果断な決断」をする様々な試みももちろん存在しましたが、殆どの場合、血が流れるばかり。実際のところ、場合によっては以前よりも劣悪になってしまうこともしばしばであったと思います。
その意味では、「これさえあればすべて解決!」式の特効薬のようなものがなにかあって、それを採用して実行すれば、現実の問題は一気に解決するような発想というのは、単なる妄想にすぎないのかもしれません。
例えば、政権交代があればそれですべては解決するとか、この政策が実現できればバラ色になるとか……、おそらくそんな一つの立場ですべてが解決することなんてあり得ないんですよ。
ひとつの方法ですべて解決すると考える「特効薬」主義は慎重にしりぞけるべきでしょう。
民主主義は、ああだこうだと対決する。そしてそのどちらかによって動きだすという仕組みですが、実際のところ、先に言及したとおり、特効薬なんてありゃしない。だとすれば、そういう妄想を卒業して、絶えず接近していく漸進しかあるまいのではないか。
まるで、複雑に錯綜した信念ネットワークをたえず、強固に更新していく挑戦とでもいえばいいのでしょうか。
この根気のいる・骨の折れる仕事を永遠に積み重ねていくことによってしか「善く」はならないと思う。
それが面倒だから「特効薬」に走る。
しかし現実には「特効薬」なんてないから、麻薬になってしまう。
そして、「早急」に正しい「答え」を獲得しようという義務教育「学習」の悪弊がこの傾向を加速させているのだと思う。
1+1=2なのでしょうが、現実には、そうひとつの答えによって説明することができないのも事実。だから辛抱強く向き合う必要があるのですけどねー。
※対応する答えやアプローチがひとつではない、ならば、結局なにをやっても無駄だと早計するシニシズムは論外だし、よく分からないから自分の世界に後退するというのもNGであることは言うまでもありませんが、一応念のため。
ある程度、臨機応変にたえず修正していくことは引き受けつつ、不断に関わっていくという等身大の思考をしていくしかないんじゃないのかなー……などと。