否定はしなかったことと全面肯定とは別なのだ




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 ところで、営利や自己保存を他の一切に優先させる雑誌と異なり、人間としての読者(国民)の尊重を第一義とする雑誌は、軽率な変身による読者の切り捨てや、みずからの都合のみによってその主張や方針を転換することはない。むろん、規制の強化によって次第に相貌を変えることは起こりうるし、そのことを無視したのでは雑誌存続の可能性が失われるとすれば、それもまたやむをえないといえないこともない。
 たとえば婦人雑誌についてみると、敗戦まで存続した『婦人之友』(『主婦之友』とは別)は、次第に戦争肯定の度を強めたとはいうものの、積極的に率先加担をしたという理由によって延命したとはいい切れないのである。否定はしなかったことと全面肯定とは別なのだ。そのへんの状況を説明するのはきわめて微妙で誤解を招くおそれがあるが、あえていえば、他の婦人雑誌の多くが戦うための戦力の一環として女性や家庭を捉えていたにもかかわらず、『婦人之友』の編集内容を子細に検討してみると、婦人や幼児を戦争からいかに守るかということに目標が置かれていたと判断される。ともに戦時下の生き方暮らし方を主題としながら、しかしこの相違はきわめて大きく、権力の側からいえば、『婦人之友』は消極的にしか協力しない記事に満たされた不急不用誌ということになるであろう。
    −−高崎隆治『雑誌メディアの戦争責任』第三文明社、1995年、13−14頁。

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戦前・戦中のメディアは雑誌だけでなく、新聞・ラジオを含め、オール翼賛体制へと変貌していくことは、なんとなくであったとしても割合と理解されていると思います。

しかし、翼賛体制へと舵を切った経緯については、しらばっくれるのがその殆どで、各社は「社史」でとりあげている場合でも、「しかたがなく追随“せざるを得なかった”不幸な歴史」とお茶を濁すはまだよい方というのが実状でしょう。

これが日本のメディアの支配的な体質になっていることは言うまでもありません。

ただ、その消息を丹念に追求してみると、「しかたがなく追随」というものの実状は、弾圧への恐怖から、かえって積極的に加担したケースも多いから驚いてしまう。

しかし、なかには、積極的には否定しなかったものの……そもそも戦時下において積極的な否定というのはあり得ないわけですし……、全面肯定という全面降伏を退ける、したたかな闘いもあったことは認識しておくべきだろう。

戦前・戦中のメディアに関しては冒頭でも言及したように、その戦争賛美・礼讃報道という黒歴史によって、全てが一緒くたにみられてしまう傾向があることは否めません。しかしながら、限界状況という歴史というコンテクストを踏まえるならば、それに知恵を絞って「否定はしなかったことと全面肯定とは別」という“抵抗”があったことは忘れてはならない。

おしならべて全面肯定した連中が、「やむをえざる選択であった」といけしゃあしゃあと自己弁解でスルーする戦後の歴史であるがゆえに、ささやかながらも、先人たちの良心の抵抗があったことは忘れてはならない。





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