覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『未完のファシズム』=片山杜秀・著」、『毎日新聞』2012年06月03日(日)付。


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今週の本棚:三浦雅士・評 『未完のファシズム』=片山杜秀・著
毎日新聞 2012年06月03日 東京朝刊
 (新潮選書・1575円)

 ◇第一次大戦から導く日本軍国思想への新視点
 すこぶる面白い。日本の近代が立体的に見えてくる。骨格は近代日本陸軍史。参照文献は固いが、かみくだいて説明する「ですます」調が読みやすい。

 「日本人にとって第一次世界大戦とは何だったのか」というのが第一章。近代日本は日露戦争に勝って列強に伍(ご)し、第一次大戦ではほとんど戦わずに戦勝国に回っていわば漁夫の利を手にしたが、得意になっていたために第二次大戦で惨敗した。

 著者はこの通説に異議を挟む。日本も第一次大戦に参戦した。ドイツと戦った青島(チンタオ)戦である。だが、日露戦争の旅順と違って話題にされることが少ない。主役が人間から物量へと移ったからだ。指揮を執ったのは神尾光臣中将。小説家・有島武郎の舅(しゅうと)。近代戦の本質を理解した作戦が周到だったためにマスコミ受けはよくないが、世界的に見れば当時の軍事作戦の最先端。戦争が国家の生産力を総動員する総力戦になったことを示した。
 第一次大戦では、日露戦争に衝撃を受けた独仏が戦勝国・日本に倣って精神主義を取ったために欧州全体がいっそう惨状を呈することになった。だが、日本はそうではなかった。日本は日露戦争では「持たざる国」だったために精神力を鼓舞しただけの話、そのことは参謀本部が胆(きも)に銘じていた。だからこそ青島戦では、旅順戦とはまったく違った戦術をとったのだ。日本は「持てる国」とは長期戦をしないのが大原則。だからこそ軍縮にもしたがった。

 にもかかわらず参謀本部は、なぜ日中戦争そして大東亜戦争へと突入したのか。著者は、「持たざる国」の背丈に合った戦争だけを考えた小畑敏四郎(としろう)の「殲滅(せんめつ)戦思想」と、「持たざる国」を「持てる国」に変えようとした石原莞爾(かんじ)の「世界最終戦論」の二つをこの文脈で解説する。小畑が「皇道派」、石原が「統制派」。前者は現実を直視する短期決戦の精神主義路線、後者は現実を変えるための全体主義路線。石原は日本を「持てる国」にしようとして満州事変を起こした。背景には田中智学(ちがく)の国柱会(こくちゅうかい)の思想があって、他の軍人とは異質だが、それでも数十年は戦争しないつもりだった。
 小畑の思想も石原の思想もそれほど奇矯ではない。だが戦時中の日本人を呪縛した『戦陣訓』の玉砕の思想ともなれば違ってくる。中柴末純(すえずみ)の「日本的総力戦思想」である。小畑も石原も戦争の相手を選び、時を選ぶ。だが、現実にはそんなことは不可能だ。それなら「持たざる国」日本がどの「持てる国」と戦っても精神力によって勝てることにしようという思想。狂気に近いが、玉砕で敵を怯(ひる)ませようとする発想はイスラム過激派にまで流れるだろう。

 最後の第九章「月経・創意・原爆」が興味深い。中柴らは第二次大戦末期には女性まで産業戦士へと駆り立てたが、戦時中、桐原葆見(しげみ)の『月経と作業能力』という本も出ている。「大和撫子に過重な労働を強いるのはよくない」という思想。また、山根省三は『勤労者の創意工夫教育』で、精神力には限界がある、発明発見こそ重要だと述べている。同じ考えは開明派の軍人・酒井鎬次(こうじ)にもあって、軍備の近代化を進めようとして東条英機に嫌われた。酒井や山根の考え方の延長上に原爆が登場する。日本は一枚岩に馴染(なじ)む国ではなかったのだ。

 「未完のファシズム」とは明治憲法下では権力が分散してファシズムなど不可能であったことを示す。丸山真男司馬遼太郎の日本近代論への批判だ。明治が良く大正が悪かったわけではない。新資料の紹介が新視点の導入になっていることは特筆に値する。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『未完のファシズム』=片山杜秀・著」、『毎日新聞』2012年06月03日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120603ddm015070034000c.html



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