覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『場所原論』=隈研吾・著」、『毎日新聞』2012年06月03日(日)付。


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今週の本棚:養老孟司・評 『場所原論』=隈研吾・著
 (市ヶ谷出版社・2310円)

 ◇人と場所の関係性を取り戻す建築思想とは
 生きものは「場所」に生きている。昆虫を調べていると、しみじみとそう思う。同じ森の中でも、特定の場所でしか見つからない。
 それに対してヒトは生きる範囲を徹底して広げた。さらに近代文明は遠い場所どうしを縦横につないで、途中をいわば「消して」しまった。横断の典型が新幹線であろう。それによる被害を回復しようとして、海山里連環学や、川の流域学が生まれてきている。著者が場所と人の身体との関係性の回復をいう言葉の中に、私は似た響きを聞き取る。世界の重要な部分を切れ切れにしてしまった現代文明に対して、そこには未来の息吹が明らかに感じられる。
 本書の冒頭では、建築家としての著者の思想が語られる。思想から語りだす建築家は珍しいのではないだろうか。「自分が常日頃考えていることをなるべく平易な言葉で若い人に伝えたい」。そこにはそういう意図がある。自分の思うところを素直に述べている。だから叙述に飾りがなく、同時に強い力があって、引き込まれる。教科書として使うことも意識されているようだが、最低の知識を与えるつもりで書かれた、いわゆる教科書ではない。
 さらに全体の四分の三を占めているのは各論としての著者の作品解説である。全部で十八の建築事例が挙げられており、現在までの隈研吾作品集といってもいい。ただし全集ではない。バラバラじゃないか。そう思う人もあるかもしれない。それは違う。『論語』だって『聖書』だって、断片的じゃないか。著者はそういうのである。
 著者は現代建築が現代建築になってしまったそもそもの始まり、そのいきさつを最初に語る。「建築の歴史をよく検討してみれば、悲劇から新しいムーブメントが起きている」。その典型として、一七五五年のリスボン地震を挙げる。この地震を契機として近代が始まったと著者はいう。人々は「神に見捨てられた」と感じ、「強い建築」に頼ろうとした。それが最終的には鉄とコンクリートによる高層の建物群を生み出す。もちろん著者がこう述べる背景には三・一一の大震災がある。ここでもまた、大きくか、小さくか、人々の考え方が変わり、歴史が変わるに違いない。「建築の『強さ』とは、建築物単体としての物理的な『強さ』のことではないのです。建築を取り囲む『場所』の全体が、人間に与えてくれる恵みこそが強さであり、本当のセキュリティだったのです」
 評者は建築には素人である。そもそも「人の作ったもの」には、あまり関心がない。でも建築家そのものは違う。面白い人たちだなあ。そう感じる。建築家には場所という制限があり、材料という制限がある。それをなんとか上手に工夫しても、施主があり、お金があり、法律がある。そこをすり抜けなければならない。ふてくされている暇はない。なるほど、仕事というのは、そういうふうにやるものなんだな。若い人たちが、この本からそれを読み取ってくれたら、素晴らしいと思う。毎日似たような仕事をして、パソコンの画面とにらめっこをして、自分が育つだろうか。
 一つだけ、技術的なことを述べたい。評者は老眼で、その目からすれば写真が小さい。これが電子出版なら、いまのカメラの画素数のおかげで、いくらでも大きくできる。紙の大きさによって制限を受けることを思えば、写真は活字よりも電子出版に向いている。画像だけがCDになった本もいくつかある。もっとも実物を見なさいといわれたら、それまでのことなのだが。
    −−「今週の本棚:養老孟司・評 『場所原論』=隈研吾・著」、『毎日新聞』2012年06月03日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120603ddm015070032000c.html

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場所原論―建築はいかにして場所と接続するか
隈 研吾
市ヶ谷出版社
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