仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうこと
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仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうことは、仮りにその一人が全人類を沈黙させうる権力をもっていて、それをあえてすることが不当であるのと異ならない。
−−ジョン・スチュアート・ミル(塩尻公明訳)『自由論』岩波文庫、1971年、36頁。
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別に民主主義が「最高の制度」とは思わないし、チャーチルを引くまでもなく、消去法的に相対した結果において「まあ、ほかのものよりはマシ」という意味での選択は否定しません。
それでも、結局の所は、多数決云々とか機能不全にイチャモンをつけていくよりも大切なことは、それをたらしめていく挑戦と、その根幹ともいえる「手続き」を大切にしていくほかないわけですが、その辺の手順を割愛した議論が、ここ数年、広範なひとびとから「拍手喝采」で迎え入れられている様には、驚くばかりです。
政令指定都市の市長さんの度重なる挑発と暴挙、某都知事と某府知事のとんちんかんな発言。そして、一市民をつるし上げることで、制度をより改悪しようと試みるエリート議員たち……。
そんなものを拍手喝采で迎えてしまうと、結局は後になってから自分自身の首を締めることになるのですが、うーん、
「わかりやすくて、きもちがいい」
……からなのでしょうかねねぇ。
しかし、権力は「行使」されるものであるがゆえに、最新の注意を払って運用されなければならないし、「行使」へ至るまでの手順やプロセスは最大限に尊重されなければならないはず。
ミルが「社会が個人に対して正当に行使できる権力の本質と限界」を指摘したわけですけども、このへんの文脈を、彼らに精読してもらいたいわけですが……。
う〜む。
ホント、考える暇を与えないほど、むちゃくちゃなことが頻発しすぎているよ、おるず。