自分の育てた思想を国家に譲ること



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 ジャワについて数日たったある時、私の中に考えが生じた。一年前に自分の中にあった考え(日米どちらの国にも与せず、人を殺さずに自分の生を終えよう)という目標から、すでに自分は外れている。それは、世界史のどの時期にも国家をつくったところに生じる現象で、自分の育てた思想を国家に譲ることが起こるのではないか。キリスト教の興る前のローマの多神教、ローマの国家が歴史を経た後のキリスト教徒に対する迫害と転向・非転向、これらはアーサー・ダービー・ノックから受けた講義の記憶から発想した。ドイツのナチスポーランドの抵抗。それよりも、日本人と日本国による張作霖爆殺。これは私が五歳のときに家に投げこまれた号外によって、私の心の底に忘れ得ぬ記憶となっている。こういうことをする日本人への不信。それは、偽の勝利の報道が続く中で、大負けに終わる時がくるのを待つ日々だった。
    −−鶴見俊輔東洋文庫版まえがき」、思想の科学研究会編『共同研究 転向1 戦前篇 上』平凡社、2012年、6−7頁。

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鶴見俊輔さんが、生まれてはじめて人間が人間を殺すということに「恐怖」を覚えたニュースとして指摘するのは、「日本人と日本国による張作霖爆殺。これは私が五歳のときに家に投げこまれた号外によって、私の心の底に忘れ得ぬ記憶」である。

自分自身の同じような強烈な印象としてのこるニュースを振りかえれば、それは、1975年のベトナム戦争終結のニュースだと思う。

T54がサイゴンの大統領官邸に突入する映像と、ベトナム戦争に関連する映像をまとめたような「絵」に戦慄したことを記憶する。

この事件は僕が3歳の頃になる。しかし官邸に突入する兵士を祝福する市民の笑顔よりも、同時に放映された北爆やゲリラ戦、白昼のテロとそれへの応酬の「絵」に恐怖したことを想起すると、それは、5歳とか6歳のときの、記念報道とか特集の映像かも知れない。

それが代理戦争であるだとか、植民地解放のプロセスであるだとか、少年の私にはなにもわからない。3歳ではなく5歳と仮定しても、南ベトナム(+アメリカ合衆国)を支持するのか、北ベトナムを支持するのか、といった政治的判断はできるはずもない。
※だからといって、確定してる正邪をどうのこうのという議論ではないし、本論とは関わりがないから横に措きます。

しかし、その「絵」によって、人間が人間を殺すこととしての「戦争」の恐怖というものは、幼いながらにも深く植え付けられることになった。

それから、祖母より戦争中の話を聞き、自分でも意識的に学ぶようになったと思う。

あの映像をみた少年時代より、すでに30年近くが経過した。

しかし、世界の状況は変わらないし、身近な生活世界を振り返ってみても、同じような「戦争」はかたちを変えて続いているのは紛れもない事実であろう。

国家にせよ、社会にせよ、ありとあらゆる「共同体」というものは、そもそも、その構成員を「守る」というのが「建前」だとは思う。

しかし「守る」という大義名分は、容易に構成員を殺すことに躊躇しない。

人間を殺すように「命じる」。そしてたくさん殺した人間を「顕彰」するメカニズムこそ共同体の顛倒であろう。


「国家をつくったところに生じる現象で、自分の育てた思想を国家に譲ることが起こる」。

国家によって殺された人間は数え上げるにキリがない。しかし一人の人間のために殺された国家は1つも存在しない。

この方程式を失念することなく、人間の問題として対峙・退治し続けるほかあるまい。









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