「これまでの考え方、考え方は間違いだった、そのことを反省する、と私たちにはいわないで……」って所に注目したい





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 最初に私が、なぜ子どもは学校に行かねばならないかと、考えるというより、もっと強い疑いを持ったのは、十歳の秋のことでした。この年の夏、私の国は、太平洋戦争に負けていました。日本は、米、英、オランダ、中国などの連合国と戦ったのでした。核爆弾が、はじめて人間の都市に落とされたのも、この戦争においてのことです。
 戦争に負けたことで、日本人の生活には大きい変化がありました。それまで、私たち子供らは、そして大人たちも、国でもっとも強い力を持っている天皇が「神」だと信じるように教えられていました。ところが、戦後、天皇は人間だということがあきらかにされました。
 戦っていた相手の国のなかでも、アメリカは、私たちがもっとも恐れ、もっとも憎んでいた敵でした。その国がいまでは、私たちが戦争の被害からたちなおってゆくために、いちばん頼りになる国なのです。
 私は、このような変化は正しいものだ、と思いました。「神」が実際の社会を支配してるより、人間がみな同じ権利をもって一緒にやってゆく民主主義がいい、と私にもよくわかりました。敵だからといって、ほかの国の人間を殺しにゆく−−殺されてしまうこともある−−兵隊にならなくてよくなったのが、すばらしい変化だということも、しみじみと感じました。
 それでいて私は、戦争が終わって一月たつと、学校に行かなくなっていたのです。
 夏のなかばまで、天皇が「神」だといって、その写真に礼拝させ、アメリカ人は人間でない、鬼か、獣だ、といっていた先生たちが、まったく平気で、反対のことをいいはじめたからです。それも、これまでの考え方、考え方は間違いだった、そのことを反省する、と私たちにはいわないで、ごく自然のことのように、天皇は人間だ、アメリカ人は友達だと教えるようになったからです。
    −−大江健三郎「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」、文・大江健三郎、画・大江ゆかり『「自分の木」の下で』朝日新聞社、2001年、8−10頁。

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大江さんは、このエッセーで、学校に通う意義をわかりやすく説明するために(……ということが同時に、現在の学校制度を無批判に全肯定していることと同義ではないのは念のため)、二つの出来事を紹介しております。

ひとつは、ご自身が「不登校」になった経緯と通学の再開、もうひとつはお子さまの学校生活がそれです。

うえに引用したのは、前者の出来事で、1945年の敗戦の夏になります。

これまでさんざんに「天皇制」や「戦争」、排他的「愛国心」をあおってきた大人たちが、8・15を境に、「民主主義」や「平和」の吹聴者になってしまった。

これは8・15でなくてもどこにでも起こりうる現象であるし、加えて、これまでのそれよりも、新しい事柄が断然「マシ」だから、言葉は悪いけれども「転向」することはあり得るし、それでよいと思う。

特別の愛国少年でも、目覚めた少年でもなかった大江さん自身、民主主義を歓迎している。

しかし、その「境」において、なすべき事柄がなされないとき、大いなる疑惑が生じてくるのも必然であろう。

大江さんの教師たちは、昨日までの言説を「反省」しなかったし、総括をしたうえで、新しい言説へ「転向」したわけでもない。

ここが問題であり、経緯としては、その不信は「不登校」を必然してしまった。

「反省」「総括」。。。
※もちろん、連合赤軍の「総括」は不要ですけどネ

ありふれた言葉だと思うし、日頃、自身の言説や行動を「反省」したり、「総括」したりしながら、人間を日常生活を展開している。

しかし、大切な局面において、それがなされないとき、自身にとっては欺瞞を積み重ねるだけだし、関わる他者へ不信を与えることになってしまう。

自分を騙し、関わる人間をも騙し「続ける」。

ここが問題なのでしょう。

そして、これは半世紀以上前の、四国の山村で生じた特異な現象ではないし、きわめて現代的な問題でもある。

訳知り顔なひとたちは「反省はサルでもできる」って使い古されたコピーをそらんじて嘯く。そんらじて嘯くけれども「サルでもできる」反省をしたことをついぞ見たことはない。

しかし、ここからはじめないと何もはじまらないだろうに……とは思うわけですよね。









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