覚え書:「記者の目:『大正100年』を取材して=大井浩一」、『毎日新聞』2012年08月08日(水)付。




        • -

記者の目:「大正100年」を取材して=大井浩一

 明治から大正に元号が変わったのは、ちょうど100年前の1912年7月30日。大正時代は第一次世界大戦米騒動ロシア革命などが相次いだ激動期だった。そこから今の日本を考えるための教訓を得られるのではないかと、私は昨年、シリーズ「大正100年−−歴史に探る日本の針路」(月1回掲載)を担当し、取材した。中でも10万人を超す死者・行方不明者を出した関東大震災(1923年)は、その後の社会のあり方に深い傷を残したことを知った。そこには東日本大震災原発事故後の日本社会を議論するうえでも、重要な視点が含まれていると思う。

 ◇「民衆の自信喪失」の教訓重く
 「やはり震災は社会全体として、あまり振り返りたくない記憶だったでしょうね」
 昨年夏、関東大震災に関する取材に鈴木淳・東大准教授(日本近代史)は答えた。私の質問は大震災からの復興が当時の人々にとって「成功体験」となったのでは、という推測をぶつけたものだが、鈴木さんの答えは逆だった。理由は震災の際に起きた朝鮮人などの虐殺事件にあった。
 そもそも「大正デモクラシー」と呼ばれるように、大正期は護憲運動をはじめ民衆による社会運動が盛んになったことで知られる。一方で、私には理解できないことも多かった。例えば、中国の辛亥革命(11年)に共感した日本人が多くいたのに、なぜ中国での日本の権益拡大を求める「21カ条要求」(15年)を突きつけるなど、強硬な姿勢を取るようになったのか。関東大震災の時、なぜ一般民衆までが数千人もの朝鮮人を虐殺する惨事を引き起こしたのか。

 ◇今は理解不能な虐殺事件の原因
 戦後の教育を受けた私自身の中には、中国や韓国の人々に対する民族的な優越感は見いだせない。日本人の多くに差別意識があったというのは全くの謎で、当初から自分なりに答えを探したいと考えていた。そして東日本大震災の後、関東大震災はいっそう大切なテーマとなり、歴史学者地震学者、体験を語り継ぐ市民らに取材を重ねた。
 関東大震災直後、壊滅状態となった被災地などでは、朝鮮人が暴動を起こすといった根拠のない流言が飛び交った。軍隊や警察だけでなく自主的に地域の警戒に当たる「自警団」を組織した民衆も進んで虐殺に加わった。朝鮮人と疑われた中国人、時には日本人までが殺された。「植民地支配で圧政を加えた罪悪感の裏返しの恐怖」といった説明は頭で分かっても納得できるところまではいかない。
 そんな中で取材した一人が鈴木さんである。当時の人々にとって関東大震災が「振り返りたくない記憶」になったのは、大正デモクラシー自体の矛盾に根差していた。鈴木さんによると自警団の中心を担ったのは青年団在郷軍人会の人々だった。彼らは大正時代に東京などで多発した水害をきっかけに災害時に組織的に出動するようになった。
 「大正期は、いわばボランティアの時代の始まり。デモクラシーの思想の下で、民衆は都市で重要な役割を担い、新しい自治の担い手となりかけていた。ところが関東大震災の際、自警団は流言を信じて朝鮮人を迫害し、町内を守ろうとして通行人に怖い思いをさせてしまった。『ボランティアでは必ずしもうまくいかない』という自治に対する民衆の自信喪失があらわになったと思う」
 直後に行政から、食料配給のため全住民を把握する町内会の結成を要請され、昭和の戦時期の隣組につながる「行政の下請け」的な色彩の濃い町内会が被災地全域で組織されていったという。他のテーマの取材からも、大正期の民衆運動そのものに、戦時体制につながる要素が含まれていたことが分かってきた。
 「なぜ虐殺が起きたか」の謎は解決できなかったが、私はこう考えるようになった。「100年近くたてば自分の国の出来事でも理解できなくなることはあり得るのだ」と。それが歴史であり、だからこそ事実の検証は不可欠だ。

 ◇やがて問われる原発対応の是非
 今、原発事故への対応が深刻な問題になっている。これは歴史の審判を受けるに違いない、日本にとっての重大な分岐点だ。その対応いかんでは100年後の日本人に「なぜ平成時代の人々は震災後に原発を廃止しなかったのか」と理解できない思いを抱かせるかもしれない。あるいは、「なぜ震災後、原発を制御する技術開発に全力を投入しなかったのか」と思わせる可能性もある。後世の評価に堪える「答え」を見つけ出すのは難しい。だが、大正以降の民衆が自信喪失から無謀な戦争に至り、敗戦を招いたような「亡国の愚」だけは避けなければならない。(東京学芸部)
    −−「記者の目:『大正100年』を取材して=大井浩一」、『毎日新聞』2012年08月08日(水)付。

        • -






http://mainichi.jp/opinion/news/20120808k0000m070148000c.html





203